腹を割る覚悟が出来てきた

 意志の主体は何処にあるか、というと人間は既に機械以下の存在でありながら、動物保護と同じように生まれた以上は幸福と痛みを持つので、安楽死よりは使い古された表現だけど生命の尊厳つまり生きていることへの意味の追求をするために生かされ合っているんだと思ってる。山暮らしとか、自然の中で自給自足で生きる人とかはその限りではないけど、農家をしながらトラクターや車を使ってビニールハウスとか化学肥料も使うみたいなのが都市生活者と上手に関係を持っているし、一見して自給自足でも仕事道具の老朽化まで考えると、やっぱ工場や都市と完全に絶縁出来る人は滅多にというか絶対にいないと思う。

 どうしてそこまでくだらないことを平然と述べられるか、というと小学校の頃から自分の身を守るために笑われキャラだったけど、笑うことで楽しみながら上手に付き合える人と、平気で罵倒して傷つけられながらも、笑われる人気者としての自分を怒らせる言葉を「効いた」という旨味から平気で連呼する者とどう渡り合うか常に考え続けてきた。心から腹を立てながらも、社会のルールで殴ったら負け、殴らせれば勝ち、だから殴らないでどこまでも怒らせようとするという負の連鎖をどう断ち切るか考えてきた。

 昨今のロシアとウクライナの情勢を見て、国際連盟のルールを犯したロシアを果たして世界のその他の国が全部手をとって抑えられるか、結局の所力があるのにそれを行使できないのは騙されているだけで、やっちゃえばいいという決断をしたロシアと本気で戦うとなると武力による対抗をしながら、どちらの陣営に応援するか。その応援も外野から声かけする野球場の応援と違って、高校球児のオカンがやっているように兵糧をどうするかという応援だ。

 小学校は閉鎖的な空間なので、多数決が強いのはジャイアンのようなガキ大将がいてもその他全員で囲んで石でも投げつければ勝てる。暴力はいけないというのは建前で、ルールを犯すものをその他全員の暗黙の暴力で脅している。実際、それは銃のあるアメリカでは乱射事件とかも起きたので、アメリカ人の優しい人が心から優しいのか、日本のようなどぎついいじめが銃のような力によって起こりえないので予防線として優しくするのか区別はしかねる。

 国連でロシアを包囲するとプーチンさんは核のカードを表明したので、広島長崎の手前で俺も居住国が日本なので、地続きの国に露骨に敵を作りたくない思いでウクライナの旗色を示すのだが、政府とかは欧米の旗色を見て対ロシアに政策を進めているのであって、結局はEUとロシアどっちにつくのが強くて勝つのかという読み合い。それを計るために衛星や電波などありとあらゆる通信手段で各国の情勢を伺っているわけだけど、81升の将棋の勝敗すら計算機に頼るような人間に地球の1割ほどの面積を持つのではないかと思われる欧州東西の勝敗などそう簡単に読み解けるはずもなく。始まってしまったことはやりながら情勢を見守るしかない。

 俺もバカブログで広告収入などの打算から、バカ記事書いてきたけど、コンピュータ将棋について、地元のゲーセンに溜まった遊び仲間が「人間がコンピュータに負けるわけがない」というのに対し、それは将棋なら人間が先手でコンピュータが後手を持つことが暗黙の条件に設定されていて、論理的に先手必勝なら人間にもコンピュータと同じ指し手が指せて勝てるという程度の論理だと思う。人間後手でコンピュータ先手でも同じことが言えるかが焦点で、コンピュータが後手で一定の指し手ではなく手に変化をつけるアルゴリズムがどうであるかという論になると、苦しい部分もある。

 プーチンさんの核威嚇に対して被爆者団体が意見書を出すにあたり、そんな威嚇は幼稚だと笑っていた婆さんが映っていたが、俺はもう1回撃たれて死にたいのかと。いや死なないで被爆者として苦しみたい、もしくはもう余命も長くなく楽になりたい、その年まで行ってみないとわからないこともあるが、既に撃たれないルールは守られるという平和ボケが完全に行き過ぎた挑発行為だなと思って見ていた。既に何段階ものルールは破られているから、世界は大急ぎで動き出している。これが誰かのチェス盤で想定内のことであるのか、そうでないのか。

 まあ、挑発が挑発であると伝われば、打てば不利になるから挑発しているので打たない冷静な判断が返ってくるとは思うが、撃たれても東欧が焼けるだけと思って非人道的な挑発をしているのなら俺は是非もういちど今度はロシアから長崎広島に核爆弾を使ってあげて欲しい。


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