落ち着いたか

 ウクライナ情勢の対露支援としてEU及びNATOには武器の支援という文言が含まれており疑問符だったが今朝の国連発表で人道的支援という文言に差し替えられたので近い内に落ち着くんじゃないかと思うようになった。国内では被爆者の婆さんのインタビューも「核威嚇は許せない」から挑発的文言をカットして放送されていたのでそういうことだと思う。

 しかし阿部さんが核議論すべきではないかと持ちかけ非核三原則を守るというのは核配備をすることで日本の配備箇所が攻撃目標となる理由が出来てしまうからそれで良いだろう。

 核威嚇の問題でいちばん厳しい意見だと思ったのが、核戦争は人類破滅への道くらいに恐れられていたものが広島長崎も復興したし50年くらい経てば放射線が減少してまた農地としても都市としても使って問題無いとなると、50年読みに勝てば発砲許可が下りるということ。打ち込まれる側としては全然安全では無いけど、攻撃力としては発射サイドに安全視されだしたというところが辛辣だ。

 国会でも進行形で同じようなこと言っとるな。猪口さんと同じってのなんかなぁ。個性とか独自性みたいなのは生物多様性から人格形成期の環境で生まれるもので、論理性が備わって会議の発表の後に後手で発言すると言うべきことが同じになる、という体験を最近している。すべからくそれが考えて同じになるなら証書のコピーとか右に倣えで異口同音に同じこと言っときゃ良いって体質になるからな。

 その意味でウクライナは侵略を受けてみて「お前らそこまでやる気だったか」みたいな若さがある。武器支援と発言したユーロ諸国も若いのだろう、多分。これからは若い人の時代となると相応に言い分と対立はあるだろうが、そこに歴史的な発展継承で進化した兵器が使われるとなると、ヤンキーとゲームで喧嘩して台殴ったり椅子蹴ったりに発展したことはあるが、チキンなので最後は夜中にバイクで囲まれて謝った。だがそれを40代まで根に持っていて、俺の腹の虫が治る頃には既に過去に何があったか知らないが俺自身も近寄りがたい怖い人であると距離を置かれて、俺もその方が楽だが、町人がすり寄ってきて会話するとなると大抵雑用の手伝いなので、それくらいの仕事は負けてやらなきゃならんのかなとも。

 まあ、日本なのでバイクで囲まれるだけで済んだというか、包丁で刺されたわけでもないのでヤンキーにも最後の手は出さないという気持ちがあったのだが、それでもそこまで脅されたらあの時には事を想像したので、プーチンさんも使う息はなくとも言ってはならん事を言ってしまったわけだし、阿部さんの議論すべきかという持ちかけも国会発言をよほど慎重にしないと海外のメディアからビデオ編集で核配備の文言を切り取って使われる可能性だってあるし、やはり非核三原則で議題にすらすべきではないという政府の慎重さは用意周到なわけだ。


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