スケジュール帳の密度が減ってきた

 おととしから日記帳をスケジュール帳形式にした。未来の分を書いておいて、過ぎると日記になる。予定がなかった日は日記として使う。忙しい人の時間管理術だが、まあ暇人にしてもいつかやりたいとおもっていた事を予定として立てて帳面を見直すと昨年から今年の1月まで驚くほどビッシリと詰まっていた。

 そのおかげか、割と気持ちがスッキリして、いつかやりたかった事が大体出来たし、そんなにやりたいやりたいと主体的に貪欲にならずとも、俺は元々アンニュイな感じで最近ちょうど昔のお前みたいで「らしく」付き合いやすくなったという事だ。

 とは言っても元々の友達が曲者ぞろいだから、元々らしくというのは例えばウクライナ情勢で世間が欧米の顔色を伺っていても親ロシア派武装集団を応援する、みたいなところがある。日陰者として生きながら、暗い趣味の友達同士で遊ぶ。その暗い趣味がひととき市民権を得たかのようになり、人気者になった錯覚をして、多数派形成やらマスコミと政治の主導権を持つというような野心というか、普通に多いから自民党みたいな感覚が一定の合理性を持っていた事を後々に確かめながら、しかし分かってそうしている人と真似しているだけの人とを比較して、多いところに迎合するのも良いけど、その良さ以上に誰が誰と分かる狭いコミュで互いの個性が誰かの真似というわけでもなく、また真似ならば最初にやったのは誰でどういう経緯でそうなったか確かめてから合意した、みたいなところまで付き合う人となるとどうしても数は少なくなる。

 その意味で人気者とか追従者みたいのは先に書いたようにメディアの広報力の差が大きく、元々は得だからそうする行為が善行として刊行され、しかし広まりすぎると取り合いになり、そこまで来たら損する行為や嘘を広報して知っているものだけが蜜を味わうという所で、そうすると日陰者や変わり者に思えるかもだけど旨いものを知っているという所で、生い立ちにおいてそうであったものが共感に目覚め、苦手だったお祭り騒ぎの楽しさを取り戻し、なんか神輿に担がれた内に自分でも周りで何が起こったのかわからず、おかしくなって孤立して、螺旋を回ってみてみると元の関係とほぼ同じ所に落ち着いているという。

 かなりどうでもいいけど昨日のカプエス2はA豪鬼さくらベガな。今日はPS2ではなくMTGのシールドを練り直して遊ぼうかなと思ってるけどカードには触れず椅子で回って考える。


🄫1999-2023 id:karmen