幻想

 最近、机についている時にクセのようにボールペン回しをしていたのを、左手で挑戦し始めている。左手でも回せるようになってくると、思い出したことがある。同級生に「俺の兄ちゃんペン回しめっちゃうまくて両手で同時に回したりすんねん」と言われたことがある。見たことはないが、それを聞いた俺は両手でペンをくるっと回す兄ちゃんを想像した。やってみると、2回落としたが3回目で集中すると出来てしまった。右は少し重めのボールペンで左は元々軽い上にインクの減った細書きペンだ。

 出来て見て、はっとなったのが同級生の言葉の時点ではそれは虚構であったこと。もしかしたら事実もあったかもしれないが、俺の人生で目標になっていることの多くはまだ虚構で人の言葉で聞いたことかもしれない。格闘ゲームウメハラ伝説もそうだ。確かにヴァンパイアハンターの対戦会で見たウメハラは正確無比な操作で息を飲んだが、それを土産話にした俺の言葉は地元の人間からは虚構に思えたかもしれない。その仕返しとして、想像上でできたらすごいと思うことを「出来た奴がいて、俺は見た」という話にしてしまう。ただ、これは文筆なのでこの文章自体も虚構かもしれないという循環の懐疑を孕ませることになる。

 それはさておき、気になるのは成長と老化というやつである。年齢的に何かを練習して成長してモノにするよりも衰退して出来なくなる老化が始まる年頃だ。だが、老化の原因とされるものと、老化を理由に訓練などを怠ることで退化することを正当化する怠惰とはどれほど違うものか疑わしい。楽をしたい年寄りにとって、老いてもなお壮健である人は羨ましいし、その羨ましさが怠惰な自分を責めるようで煩わしく、隠してしまいたいようなことだろう。それは若くても理屈の上では同じで、不勉強を生まれながらのバカのせいにした方が楽だからな。

 左手ペン回しの他は左手歯磨きに格闘ゲームをもっと操作が早くて難しいキャラにするなど、自分への負荷を少しだけ重くする。しかし筋トレはせず体操やストレッチをする。それらは全てギターの練習からの逃避行動でもあるかもしれない。楽しいものは効果を自分で実感出来ることだから。ある程度出来るようになって、伸び悩みになると楽しくなくなる。普通のことだと思う。

 それでも惰性でもなんでも、続けていけば壁が破れる日も来るかもしれない。月並みだが、そう思って続けないと現状維持すら出来ないわけだから、そうしている。

 そして以前読んだ本を読み直すと、それらは全て虚構に思える。同時に、記してあることが少し違った角度で暗喩として何かを示すヒントにも思える。全てのことを間違いなくすれば理想郷になると考えていた時には嘘や間違いは許せなかったが、人間同士の比べ合いで相対値によってしか優越感を得られないというような立場に立つと、相手の足を引っ張るのに嘘を言ったり悪書を読ませるということも手段というか効果があるわけで。

 そうすると使い道のないカードなんてトレカには無いわけで、相手に弱いカードを与えて自分が強いカードを持つから勝ちやすいわけで。そういう風に意地の悪い人も世の中にはいて、自分は騙されているかもしれないと思ったら、少し本当のことに近づくけど、以前はそれがとても寂しいことで受け入れ辛かった。

 ただまあ、意地の悪い人と人の属性と考えると距離を置きたくなるけれど、そんな人にも友達としての魅力を感じていたわけだし、それが交換条件だと思うと足りないものも見えて来る。騙されまいとして取り付く島もない人間だって、会話くらいはするものだからね。


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