本棚を整理した

 以前ギターの教本に当たり外れがあったと記したが、当たりと判定した本の理論だけでは自分の演奏の幅に限りがあり「この人っていつもこうよね」という感じになっているナー、と思って捨てずに置いていたハズレだと思った本を譜面通り練習しだした。恐らくメタル系の早弾きフレーズ集である。ドラムもベースもなくひとりで早弾きフレーズばかり練習するのは聴く人にしてみても何とも間抜けな感じではあるのだが、そこを突破したい。

 その楽譜を取り出したついで、よく読むなら戻す場所が必要だろうとキチキチの本棚に雑に積んだ本を整理してみた。聴かないで放っているCDラックの前に本棚スペースを作り、マンガの描き方やペイントソフトの使い方などの本を取り出しやすく並べて、そして戦争資料集とか何のために買ったか忘れたが持っているものも改めて読み込めるように近くする。

 恐らくだ、俺はゲームを作りたかった。だから専門学校に進学したわけだし、プログラマになったのもそのための下積みで、だけどプログラマになって絵や音楽を自分の給料に対して格安で買えるようになっても「自分でやりたい」という意思が勝って、安くても絵や音楽で仕事ができる人の方が羨ましかった。そしてその中で、資料集とか入門書とか道具を揃えるうちに、薄給であるとはいえ生活必需のルーティンワークよりどうにかこうにか生計を立てた上での創作活動に対比して、趣味で出来る事は優位なわけではなく、その優位性を芸術家誰しもが持っている上での審美なのではないかと考えるようになった。

 ところで、江戸時代は300年続いて良い時代であった、みたいな話を本で読んだことがあり印象に残っていたが、徳川幕府が300年として大政奉還からは元号制度になっているから大正時代とかは比肩して短いわけだが、実は鎌倉時代くらいから首都圏で政が行われていることには変わりはなく、なんというか地方東京問題は根深く、芸術のためウィーンとかパリを目指す人がいるように東京にもまたそういう要素を持つ地区があるのだろうなとは思う。

 ただ、俺は部屋に籠っていて、アマゾンでポチクリしたくなるゲーム。だいたい何でも持っているようで、このまだ欲しくなる感じは何なのか、ポチって小銭を失って持ったゲームすら大してやらずに多分ポイするこの気持ちは何なのかと思っていたが、ひと晩明けてみると箱や攻略本の挿絵の担当者が少女漫画家で少年向けのゲームとは画風が違うことに気付いた。

 思えば欲しいものは何でも買ってきた俺だが、子供の頃にお姉ちゃんの持ち物でこっそり見た少女漫画以外に、興味のある女性の読んでいる少女漫画を読んでしまうとその人の中身がそのままのようでつまらなくなり、読まないでおいたほうが面白かったという落胆から、無意識的に少女漫画の覗き読みみたいなことはすべきではない、みたいなマイルールが出来た。

 そして世の中では買ってはいけないものの代表格であるエッチな本だが、男性向けはちゃんと男性が読んでもっこりするように書かれていて、ジェンダ平等の前に現行の性がどのように役割分担されているか、みたいな問題になると、女の子向けゲームと男の子向けゲームがネットゲーとなって男女交際の場になっているようで、互いに回線を通してアバターとプレイヤの性別が入れ替わっていることも珍しくなく、俺はオフラインとなった。

 漫画の描き方以前に人物画の課題として裸婦画のデッサンがあって、おっぱい見たいから芸術家になりたい、みたいな健全性は既になくなっているよな。ギターも何のためなのか。


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