銃社会アメリカと戦国時代の謙譲は同じこと

 中露と英米が対立軸になる以前に外に向かって全兵力を出せるほど内政が整っている点に着目したい。大国アメリカにも南北戦争という内乱の時代はあったわけで、中国も三国志のような武断政治の時代を経たにも関わらず、日本では徳を重んじる蜀をテーマにした三国志が語られるし、南北戦争では負けたはずの南の考え方を学んだりする。

 どうせなら勝ち方を学びたい、兵法を学びたいと思うものではあるが、兵法にも逃げるが勝ちとか、戦争はしないで済むならしない方がいいというのも日本の学問では常識である。

 なぜなら、日本にも戦国時代はあり、この狭い島国の中でも領地を奪い合って争った中から、互いに刀を持っている武家同士でへりくだって譲り合うことでどうにか喧嘩せず生き残りあったわけだから、それを世界史というか隣国とも清露に太平洋と敵方が知れない間は争ったものの、数の力で負けるとなってもどうにか生き残っているその知恵こそが後世に継ぐべき知恵であると考えられたのも必然と言える。

 殺意を抱くほど人を憎んだことが俺には無いわけではないが、すんでのところで踏みとどまるのは勇気や実行力がないと捉えられるかもしれないが、自殺や放火も未遂に終わり、つまるところやっちまったやつは捕まって終身刑とか死刑になるので、出来ない奴が遺伝的に生き残って来たのかもしれない。

 それは開拓地の残っていた米国ではそうでもなかったのかもしれないが、未踏の地がなくなり世界中が人間でひしめき合うようになると、案外と日本史的な謙譲の精神が処世術となるのかもしれない。グローバルスタンダードというのは素敵な響きだったが、島の中から体良く追い出されているだけの話。グローバルにはスタンダードはなく、それは結局は英米の文化的植民地で支配階級の利権争いをしているという事に過ぎない。それを普通だと思うのは一方的なのだ。

 日本では譲り合うことやへりくだることは慣習となって、由来すら忘れられているが、そうしない時には刀を抜くという武家の特権があったからそれが成り立ったので、現代社会ではそれを忘れ、不遜な態度で成り上がってもせいぜいが醜聞報道で辱めを受けることで許されて忘れ去られ元の社会に戻してもらえる。

 これはウクライナほど離れた国でもマスコミ関係から大統領になったゼレンスキー氏でも同じことに思えるが、プーチンさんには退路が用意されていないと見える。後ろがないから辞められない、退路を絶って追い詰めているのは戦争反対と言いながら火に油を注ぐというのはちょっと違うか、裸の人に北風が冷風を浴びせているようなものだと思う。

 その意味で日本政府は対露外交に予算を割いていて、国会で野党が叩いているが、これは太陽政策とも言えるもので是認される。

 戦争をやめろというなら、辞めた人どちら側にも恥をかかせずその後の道を用意するということを考えるのも人道ではないかと俺は思うのだが。


🄫1999-2023 id:karmen