オカルトは芸術表現の形と考えてみた

 近頃オカルトにハマりそうになっている。少年期から自分を振り返ると、部屋で読書をしていたので創作の虚構と現実を描こうとしたものの区別は付いていなかった。歴史も国語も史書や小説を題材に取っているので、学科試験もどこかで承認された共通の虚構に対する定性的な認識の合致であると今でも考えている。

 ゲーム会社でバイトしていた時に企画の女性が占い師で社長の愛人だった。曰く「ゲームは占いなの」とのことで、それは長らく心に引っかかって悩みの種となる言葉だった。

 その言葉が飲めたわけではないが、オカルトとは不気味な絵画とそれにまつわる文章の織りなす芸術の一種で、奇術もまた裏側から見ると詐術的であり、現代ではそのトリックが明かされているが、現実とは何かを問うような虚構とも現実とも取れない書学生にとって挿絵のあるオカルトが絵の力で想像力を刺激されてそこに想像の世界が広がる何らかの定式があったのだと考える。最近では中学校の英語の勉強にハリーポッターが題材として取られるという話があったが、魔法もドラゴンも虚構であり科学的に考えるべきであるという目標と、興味を引くための手段として読みやすい幻想小説を使うという教育の矛盾も指摘したい。

 かくいう俺も中学くらいで幻想小説に夢中であった。そうすると幻想を題材に取るファミコンからスーファミ期のゲームはデジタルオカルトで、特にファミコン女神転生などはその名もデジタルデビルストーリーと来るわけだが、教科書とは別に同じゲームで遊んだ経験を持つ同級生とは共通体験があり、具現化された実物があったので話題として仲良くなるきっかけであった。

 今ではそれらは虚構と分かるのだが、リンゴのことを英語圏ではアップルと言うわけだし、地名や町名も戦争や政治で変わったりするし、とかく人が作ったもの名付けたものであることに変わりはなく、そういう名前もまとめて「人文」と呼んで大学の文系で取り扱うわけだけど、小学校くらいから名前についての勉強ではなくまず定式的に定められたものを覚えないと進学できないことに矛盾は感じていたが、高校三年くらいになるとそれもまた現実的にルールであるわけだから、飲まざるを得ないという考え方に染まった。

 そうは言っても、自分の中にも同じ矛盾は内包していて、ドラクエって何?リュウケンガイルッて何?ストIIって何?と問うものにはゲーム機を用意して見せるしかない。同じように大学教授にしたってアルゼンチンあたりから人が来たとしてもまず和名を覚えてもらわないと話が通じないかもしれない。だけど受験はそのためというより定員をふるいにかけるためのものだとも思うが。富山ってどこ?とか言っている生徒からふるい落としたい気持ちも分かる。

 まあ、俺の通った奈良学園中学高等学校というところは理事長は東大進学者を輩出して看板にして保護者からの信頼を勝ち取り入学者を増やして学資を集めたいわけだが、教員の中には大学受験も進路のひとつで自然科学に重きを置いた教育を施したいという思想から受験科目に社会科が無く、そこは虚構だから軽んじて扱っている風潮はあった。

 その考えが変わってきたのは病気をしてから、医学部を出たお医者さんとて人体や薬理は学んでも自然科学の道で学を修めるとなると実地検分のフィールドワークが出来る範囲以外のことをどうやって学ぶかということを悩んでいて、俺は子供の時に小学館の図鑑で学んだのでまず動植物の図鑑で写真や絵を見て名前を覚えたらどうですか?それいいですね、とその時には解決したかに思えたけえれど、図鑑で学び出すと幻想生物だと思っていたケツアルコアトルにはコアトルと呼ばれる実在の野鳥がいたことなどの接点が出来始めて、キリンや恐竜も伝承を続けられるうちに伝言ゲームや想像からの絵画で幻想生物になってしまっただけで、何らかの原体験をもとに創作は為され、現代では1割の土台となる現実に9割の虚構を載せるというような創作の手法とされているものも、いつの間にか9割の虚構から空想の産物であると見なされているオカルトにも1割くらいは現実があったのかもしれないし、そこに着眼するというか見極められると、1割ずつ生きた知識になってくる感じがしてるんだ。

 そして、改めて化学の学習参考書を読むと、高校の時のものではなく、40代になってから卒業後に改定された内容なので、高校レベルでも復習以上のもものはあるし、俺は現実と虚構の判断ではなく学習指導要領と創作の別をなく勉強して大学に落ちたのだろうし、例えそれが茶髪にブリーチしたせいだったとか大学再編や都市人口の増減に伴う合格成績の操作だったとしても、受け入れられるようになった。

 創作物を読んで楽しんで想像を巡らすことと、書物の真偽を科学的手法でひとつずつあぶり出すのとでは作業量が違いすぎる。もし大学で求められるのが後者なら、前者に甘んじて読者たりえんとする生き方もあろうかと、今宵も晩酌に缶ビールを飲んだのである。


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