スーファミ版「龍虎の拳」をクリアした

 昨日、ジョンクローリーまでパターン化して、今日はジョンクロまでノーコンティニューで進み、ミスタービッグで何度もコンティニューしてからネタバレ防止のラスボスを倒してクリアした。写真に収めたかったが途中からトイレを我慢してエンディング中に相当辛抱たまらなくなり、エンディングストーリーを最後まで見てスタッフロールの初めからダッシュして用を足した。活字のみのブログというのも信憑性が疑われるのは分かるが、まあ後日ノーコンティニューを目指して撮影するとして持っていてクリアするのは当たり前かもだが、クリアした。

 龍虎の拳のカセットは昔から持っていたわけではなく、ネオジオをバイトして買った時に龍虎の拳2日本橋で980円の捨て値で売られており、買ってあまり遊ばなかったものを閑した時に遊んで、そしてエミュレータSNES版をさんざ遊んでから箱説付きのスーファミ龍虎をネットで安く見つけて買っておいたものだが、箱には新品の9800円の値札が付いたままで、恐らく新発売から俺が買って開けるまで誰にも開封されなかったものだろう。

 今ならニンテンドーSwitchの新作にもそういう作品があったとして、売れ筋タイトルの陰に潜んでいるだろう。バイト時代の俺はコレクターで「誰も持っていないカセットが欲しい」と思ったものだが、残念な話で市販されている以上は工場から何本も出荷されていて誰かは持っている。そして専門学校を出てゲームプログラマーに回ってからは売れるものを作りたいと思うようになった。

 そうして辿り着いた会社の中では完全分業制で今まで小さな会社に就職してから腕の立つ方で通ってきたのが優秀な人のいる大企業ではその優秀な人でさえ小さな歯車になっている現実を知り、このスーファミ龍虎でも恐らくしっかりした経営者のもとで優秀なクリエイターが働いて9800円の値が相応しいと店頭に並んだものだったのだろうと今更に思うのだ。

 それでも、今の俺にも9800円はそうそう簡単に払える金ではない。もっと高い株式投資をしていると思われるかもだが、それは成功時の収益を見込んでのことであり、遊ぶおもちゃに出せる額でいうと普通のサラリーマンの方が多いかもしれないとも思う。

 そういうお金の話で堀江貴文さんの本を読んだが、東大卒で経営者で犯罪歴も持つホリエモンは常識を破るような語り口が印象強いものの、なぜそれでも常識が常識足り得るかというと、論理的なんだけど結局は欧米の大富豪ほどではない日本の小さな成功者の域から出ておらず、お金はモノと交換する貨幣から起こってそれが帳簿上でどんなに莫大な額を示すようになっても、それで人を雇ったら雇われた人が消費をして経済を回し、そして仕事が成果となってモノになってそれが売れて資金が回収される、この打ち消し合いからお金中心の考え方では外に出られない。ホリエモンはそれ以外の考え方も出来るとは思うけど、読者がお金を欲しがって成功者に話を聞こうとするから上手い謎解きのようなセリフでページを埋めて騙す。

 そして俺はゲームをお金で考える時にゲーセンで100円払いたいかが軸で、クリエイターにはゲーセンは負かして巻き上げる、家ゲーは長いこと遊ばせるらしいけど、負かす気のゲーセンゲームを勝つようになると家ゲーの遊ばせるレベルの難易度では物足りない。それを若さだと言われるのも分かるようになってきたのは、老いたら思うように体が動かないらしいからで、40代ってまだそこまでじゃない。

 さらに言うとゲームをコンピュータや友達との「遊び」の域を出てeスポーツとか競技プログラミングまで考えると、情けないことにトップになれずへばる自分とも向き合うことになり。

 その意味では3DSのモンハンが自分で丁度いいというか遊び尽くしたとまでは言わないものの、満足を得るのに100時間以上もクエストに挑んで、新作が出ても「さすがにそこまでは」という思いもあるのよね。

 そこで龍虎で遊んでいるのは数分の対戦を区切りとして、相手との条件が読み込めて、コンピュータと駆け引きを楽しめるゲームだから。モンハンくらいになるとゲームというより疑似体験のような要素も出てくるからね。

 コンピュータとゲームがしたい、体験とゲームの境界を引くと麻雀でも牌の絵柄が綺麗だからピンズを集めるという習性を持つ人だっているわけで、龍虎のグラフィックや音楽が相応に心地良かったという点も外せず、各メーカーもキャラが多かったりシナリオが長いものには相応に安売りになりすぎないように何らか品質で劣るものを抱き合わせてくるわけだけど、それがわかる以前に経営に口出しして安売りのしすぎで失敗したことあったからね。

 良いものを作ってそれが浸透すれば理想郷で誰もゲーム機なんて買い足さずに持ち物でずっと遊べるようになると思ったものが、それで自分の収益に問題が出て大企業から新製品が出てそれでお客さんも新しいものを求めるから、繰り返される刷新の渦中にゲーム会社という新進気鋭の才能が集まる職場はあり、丁度俺はその仕事の戦力からちょっと引いたところにいる。

 ドラクエの堀井さんが「もしゲーム機の進化がスーファミくらいで止まっていたら僕はそれでずっとゲームを作り続けていたかもしれない」と冗談交じりに記していらしたけど、俺もPS5とかSwitchにはちょっと引いていて。おもちゃとして持ち主に隷属して軽く扱えるものという範囲を新しいゲーム機ってやつはとっくに超えてやしないかと俺は思ってる。

 ただ、水商売とかプロの接客業の女性と遊ぶようになってから無垢な若い女性にしかない魅力を求めながらも、テレビで見る若い女性の役は演技力に長けた女優さんなわけで、ゲームソフトもチープな負け役としての演技力に長けたものが売れるのだろうな。


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