今時は国益よりもグローバル

 「推薦入試を釣り餌に教師が生徒を牛耳っている」

 こう考えたのが反抗の始まりだったろう。だから、公平というただひとつの信念を持った俺は自分の方が持っている下層社会に落ちて、献身的に働き与える側となった。お金を。

 それで売り物はコンピュータだったので、最初はソフトウェアという取り留めもない業界で現在ではITと呼ばれて花形に思われるかもだが、ソフトという売り物を作って顧客に売っているという体を取りながら、実際にはパソコンやマイコン家電に携帯電話などの半導体関連産業の売り上げの上澄みを取っている管理職であり、左に付くならソフトではなく躯体であるハードを作る工場に降りることとなった。

 きわどい話だと思う。公平を受験を軸にすると、勝ったものは機会の平等を掲げて同じ試験を受けて勝ったことをその後の優位の正当性とする。対して負けたものは結果の平等を掲げて大卒と高卒などで開いている賃金格差の是正を訴える。

 だが、そこには給料の高低で対立軸を作り著そわせることで、本質的には両者従業員で経営者が雇って働かせているということが隠匿されているのだが、左はちゃんと経営者に向かって賃金アップの春闘をしているし、右は従業員でありながら実質的には労働ではなく管理をしている。

 そこで改めて高校の時に戦ったことを思い出すと、何の試験の時間なんだ、何を裁く秤なんだ、何が船を動かすんだ!分かっていなかった。その船を自分で漕ぐには国益という目標が間違いのない羅針盤だと考えるに至った。

 米と魚を食べて車を作って輸出する。その意味では半導体産業や電機メーカも間違いなく国益に寄与している。たとえプレステでもだ。そう考えるようになってから、外食産業などが輸入品を加工して富裕国民の財を文字通り食いつぶしていると考えるようになった。工場で働いた製品が売れた利益が経営者のものとなって、利益から外国食品を買い、さらに調理も日質的に賃金労働で使って働かないで飯を食う。

 やるせなかったが、病気になってから反対に自分がその立場となった。保険をもらって貯金をいくらか株式投資に当て、飯は安い輸入原料の加工品を食べる。これは単純計算では国益の面から考えて、増益ではなく消費に回る行動である。同じような人はたくさんいるが、自覚を持って国に損害を与えているというような罪悪感を持っている人がどれほどいるだろう。

 実はこれは実益や実損で会計的に考えるのではなく、苦労をしているか楽をしているか、そして「苦労が美徳」と思って罪悪感を抱くか、「楽こそ知恵である」と優越感を抱いているか、心の問題に転嫁して考えることもできる問題だと思うに至った。

 まあ「今時は国益よりもグローバルである」と国益になっていないことに衝立をしながら、ではグローバルに損益とか賞罰はあるのかというところまで踏み込むと、大して何もしていないかなという気もしている。

 大して分かっていなかったマルクス資本論やドフトエフスキーの幸福論などが、実は統治に楯突くように描かれてその通りだと平等や民主を掲げて戦わんとしていた人間が中年期に入って儲けて飯を楽に食う旨味に堕落してしまうまさに我が身のことさえも表裏一体に学んだことがひっくり返って生きていくための計算として今も役立っているように思えるんだ。

 色々なことを関係して考えるようになった今、想像上で動いている世界地図上の物流などを客観的に他の人に示す術を俺は持たない。コンビニおにぎりひとつでも会計上で多くの労働者にそれが還元されながら、その消費の循環で多層的に消費税が機能していること。棒グラフや円グラフでは単純に示せない税の仕組みなども分かるようになった。

 働いてもらう給料は売り上げから出ているが、その売り上げに消費税がかかっていて、もらった給料でモノを買うのにまた消費税がかかる。そのため経済が循環すると、市中に出回る可分所得は全て消費税として回収される。そういう仕組みで政治家は儲かっている。

 だが、それは政治家だけではなく公務員だってそうだし、国民も公共サービスを受けている。簡単にどこが悪いとひとりの人間を悪役にして斬ったところで解決しない。俺は消費増税はしてもしなくても、結局市民と政治家がそれに対して帳尻を合わせるだけで、円安も株安も低金利も何でも関係していて同じことだと今では考えている。


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