美術史と作画の技法をそれぞれ別の本で学んでいるところだが、デッサンの常識として幼子は顔の中心より低めに目を描く。それは骨格などの発達過程から脳の大きさはあまり変わらず、顔の下の方が年をとると大きくなるからで、すなわちそれが成年になると目の位置が高くなるという必然的な技法となる。そして年を取った人間を描写するには肌のたるみやシワを描写する。
そういう風に技法を分かってから、モナリザを改めて見ると目の位置は不自然に幼さを表現する低めの描写で、肌にはやや老けて見えるたるみなどが描かれている。これが少女にも娼婦にも見えるという含みになるのは誰もその技法を説明しないからだが、なんだか気づくとつまらなくなってしまったのを、他人に伝えると知った人もつまらなくなってしまうかもしれない。ちょっとした悪意だろう。知識をひけらかすということは多かれ少なかれその意味を持つ。
もちろん、発見したのは俺ではなくレオナルドダヴィンチだろう。それを技法として残すことなく、1枚の絵画として後世に含みとして問いかけを残したのだ。そして気付いている人がいる証拠だと思うのが、キャバ嬢の盛り髪である。年を食った女でも髪を盛れば顔の輪郭が上に膨らむので相対的に目の位置が下がり、若く見える。化粧の世界ではおそらく常識なのだろう。
美術の本も分厚くドンとあるものも漫画の技法のように薄めで学びやすいものもあるが、勤めていた頃に事務の女性が「電子辞書って小さいのにあんなにいっぱい情報が入っていて、あれが頭の中に入ったらとか思いますよね」と言ったので「マイクロチップにして脳に埋め込む時代が来るかもしれませんね」というと「なんかそれ怖いです」さらに「ターミネーターとかトータルリコールって見たことあります?」「シュワルツネッガーですよね」「そうそう」
しかし今日はふとスーパーマーケットにはいろいろの食材があるけど、あれが全部お腹に入ったらとは思わないわけで、脳は記憶に相当する部分は大きいかもだけど意識に健在するのは1枚の絵のようなもので、むしろ電子辞書とかは頭に入れていない情報を外部に保存してあるってことかなと思った。覚えていると便利なのは確かにそうだろうなとは思うけど、そうするためには相応に長期の勉強が必要になる。さらに言うと、それでも入るのは辞書だけになるので、それが図書館の本の全部だったら、と思うとスーパーの食材を全部食うみたいな吐き気のする勉強量となる。
その意味で俺は近頃は今部屋にある本で当分本は充分だと思っている。それで時々もっと詳しくと思ってまた買い足す中で、だんだんとゲームの攻略本や子供向けの漫画本が追い出されてゆく。それでも、子供の時の本はそれはそれで捨ててしまってはいけないとも気をつける。
とりあえず、段ボールに詰めて物置になっている部屋に持って行った。整理して部屋の中で管理できる量には限りがあるから。既に読み込みきれない量になっている。その意味では活字の本よりゲームの攻略本の画面写真や漫画本で絵を見る時間が安らぎになっているので、そういうものを出してしまうと息苦しさもある。まだ優先順位のつけ方が甘いんだと思った。
その意味では、学生時代に俺より勉強していた者がいつの間にか漫画やゲームなどの娯楽漬けになっているということもあるのだが、仕事をしているのだから職務で学ぶ事と余暇の趣味でそれでバランスが取れているのだろうとも思う。若い時にもっとやっておけばと思った勉強を遅ればせに今やっているように見えるかもだが、若い時には気づかなかった価値を知るに至る体験があったってことだ。「今頃そんなことやってなんか意味あるのか?」と問う人の頭には既に入っていて消化されているのだろう。まだ覚えていなかった者にとっては発見があるのだ。
選ぶ本は活字よりも地図やグラフなどのカラー図版が良いと思うようになった。思考が言語中心ではなく絵的なものになっていると感じたから、高校地図の等高線で世界を見直してみたいとか思うと、まさにそれこそが中学で国に大別された世界地図をより詳細なものにしてゆく高校生の頭かもしれないと思うんだ。俺が高校の時は国語が得意で文章は分かったが、世界史を教科書で学ぶときに地名が地図とリンクしなく苦しんだ。また、地理を学ぶ上で地学で学ぶ地質や昔は大学の単位にあったらしいという鉱物学とそれと化学との関係や、地学の地質と生物の植生との関係もサッパリ分からなかった。これ分かるやつ高校でどんくらい勉強してんねやろなと思うと、やっぱり俺もバカだが俺の周りもバカで、語らないけど黙々と勉強しているやつは大学で遊ばないで研究者とかになったらしいということを思い出した。
マクロ的に学び直すことと、それを今の俺の生活に知的好奇心だけではなく実益的にどう生かせるかみたいなことも考え直している。去年は株価チャートとかを見張っていたが、そういう経済の読み方は視野狭窄に思えてきた。円安になっても現金で放ったらかして、とても小さなお金で集まる本を手に取って、やり直そう。