方法

 NHKの書籍紹介のコーナーに作家の川上未映子さんという方が出ていて。絵本がちょっと面白そうだけど冒頭の紹介からあとはお買い上げになってお読みくださいってな。

 科学的な方法に間違いがないのはある程度認めるところだが、物理的に動かす壊すは戦争にしかならないし、作るは正論のひとつ。そうなると材料が必要で自然から木工などを小学校でも習ったが、鉄鋼とか非鉄金属となると採掘に加工に大きな設備が必要で社会科的な資金調達や組織の結成とかまあひとりで無理な理由が色々と思い当たる。

 それを何とかできないかと化学を学んでいたのだが、なかなか役に立つ段に至らず周囲から何をやっているのかと勘ぐられて、笑う人もいる。特に馬鹿にされるのは腹が立つもので殴って警察行きから書類送検、既に精神病人なのでおうちにお帰りという話が噂話になって「殺しても捕まらないらしいよ」「えーこわい」でいじめられる。

 あまりに腹が立つものを殺人ミステリーなどで想像の上での嗜虐で潜めていたものが、ついに金属のためにやっていたはずの錬金術もとい化学から毒を作ってみようという発想になった。もちろん、やっちまえばどんなトリックであろうと殺人だが、毒の製造方法を書物などで調べていると周囲で誰かが毒殺されたら、真っ先に疑われるのが自分となるかもしれない。

 まあ、その意味で毒の研究ではなく薬の研究という皮をかぶせるのが普通で、薬局やら病院の多いこの地域で界隈からは中学くらいの時に我々も考えたと。お医者さんは少なくとも患者の生殺権を部分的に持っている。化学の落とし所は毒薬以外にはマテリアル研究くらいか。

 そうなると科学の他の仕事というと畑仕事で野菜をよく育つとか美味しくするってのは正論のひとつだが、楽をするための勉強がしんどい畑仕事とつながると本末転倒な気はする。

 そこで生み出されたのが、簿記会計などのお金の魔法だろう。特に心理学と結びついて、商法が制定されたのも魔法で騙されまくった弱者を守るためだから、合法違法の線引きは時代によって違うとはいえ、違法にならないように誰かのお金を何かと替えて儲けを出すということには変わりない。

 作る、耕す以外に騙すというところまで来て初めて科学の方法と言えるのではないかと。

 そこから映像についても考えると、テレビも商品広告なんてのは健全で民放の普通のやり方だし、それ以外には煽動して内乱や戦争を起こすか選挙の投票率を上げて経済や税制から既得権運用をするか、あとは高度なものは人の考え方を物語を見せることで改めるということだろう。

 思えば学生時代は映像制作が卒業制作だったが、卒業式の前にプロジェクタで発表会をした後には卒業生の中で俺に舐めた態度を取る奴はひとりもいなくなった。

 だが、それらは制作現場を知っているからで、外に出てみると「プレステみたいなもんやろ」で一蹴されるのだ。結局俺は20年働いて制作会社か工場泊まりでソニーの新型には及ばなかったし、今後の人生を新型を追い求めるのに使おうという気は薄らいでいる。結局それでは技術者同士で「俺の方がすごいだろう」というマウントの取り合いであって「人の考え方を改める」という意味では紙芝居ほどのコンテンツも産めないからだ。

 その中で引っかかるのが俺はいったい誰のどんな考え方を映像でも文筆でも改めたいのかというと、反対に人とあまり関わりたくないとも思っている。お互いに放っておいて損害がないというのが理想なのだ。

 両親からは王様になるように育てられたと思っている。そして愛すべきは臣民だと。だがそれは民主主義での政治の建前で、平成天皇は国民みんなに平身低頭に頭を下げる人だったが、果たして1億3千万人全部顔と名前を覚えているかと考えると、出てきたときこそ頭を下げるが知ったこっちゃない皇居生活を送っていないかと。

 人は毎日世界の至る所で生まれ死ぬ。その中で関わる人を爆発的に増やしたのがネットだと思う。その中で、近所のおじいちゃんおばあちゃんや使い方を学ぶ前の子供などは、端末に触れられないし、端末同士が繋がって世界の人と交信出来るなんてのも理解できないだろう。

 そんなの、ネットでなくてラジオでもテレビでも、技術と運用を考えたら同じではないか。方法は今の技術でいい。あとは目標設定を、何に据えるかというところがまだ定まらない。


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