遊戯王DSちょっと勝ちすぎてつまらなくなった

 カードの攻撃力がインフレするとどういうことになるか分かった。「ブラッドヴォルス」に「デーモンの斧」でゲームに勝つと3〜4ターンで決着する。それは「ランプの魔人ラジーン」に「突撃」から戦略的にはそんなに変わっていないのだが、決着ターン数が1ターン早いということはデッキからカードをめくるドキドキと相手の仕返しにどんなものが飛んでくるかのドキドキが2〜3回ずつ減っているということ。

 つまりゲームの面白さは磐石に勝つことではなく、磐石であっても邪魔されてドキドキすることにあるのであって、邪魔すら飛んでこないで殴り勝つというのでは最初の方のゲームとほぼ同じ。その面白さは既に飽きている。

 自分に問いかけると、どこか「面白さ」を追求してゲームに取り組んできた。その中で「勝つ」ということは楽しいことであった。それがいつしか格闘ゲームでも勝ち続けるのが辛いというか、勝ちは嬉しくても続けることは辛く、やめてしまいたいという思いになることはあった。そうして辞めてしまって、続けた人と再び相見えると、差がついた。

 差がついて負けていると、相手から学べるものは多い。差がついて勝っていると、引き離せると思っていたのは両者まだ甘いからで、ある程度でも極まると追いつかれるばかりとなる。

 それでも勝ち続け、引き離せる要素を探し続け、磨き続ける。ふと、梅原大吾の話で「勝つための研鑽と遊ぶための実験は7:3くらいで丁度いい」というものを思い出した。つまらなくなっているのは9:1で窮屈になっているから。

 ちょっと負けることがあっても、新しいカードを試しながら遊ぶ余裕が長い目で見たときに続ける動機にもなるし、ゲームを良く知るという深さにもなるのかも知れない。

 俺は実験なら実験で実験ばかり、そうし勝ち手が決まったら連勝ばかり、実験のときには負けているが、それは実験だからで、勝つときには勝つ、という感じで心掛けてきた。

 どうかな、その比重は振り返ると実験の方が遥かに多かったというか、ほとんどを考えることに当ててきた。ぼーっと考えて、ひらめいて実験して、ふらっと人の輪に現れて勝ってまたいなくなる。

 そうだから、いきなり来て珍しいことをしたりするのを「どこかから情報を持ってきた」という風に誤解されることがあったのも理解出来るな。

 もちろん、考える前に情報は集めるし、それが悪いことだとも思わない。そして愚直な研究生活かというと、遊んだりサボったりしていることも多い。

 それでいて、自分が研究した成果を認めて欲しいというのは贅沢で、遊びと研究が「7:3」くらいで勝てるのなら、それは才能に感謝する。自分で頑張ったと思うことは広く世界に知られることではなくとも、同じように頑張っている人の間ではどれくらいの頑張りか分かってもらえている。

 それらと比べたら、遊戯王なんてまだ全然頑張ったことの内には入らないかもだけど、頑張ったMTGに似ているから、そこは違いをちゃんと理解して成果の形にしたい。

 何かで勝つには才能、努力、環境、財力など色々な切り口でのパラメータがあると思う。その中で、財力があるならそれを細々と使って自由時間を増やし、出来た時間で努力する。その生活には努力した結果として欲しいものがより大きなお金や自由な時間なら、最初から遊んでおく方がいいかもしれないという堂々巡りで、螺旋を渦巻いて少しずつ頑張るんだ。

 こうして思考を整理してゆくと、落ち着いてまた遊戯王に取り組む楽しみも取り戻せる。


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