俺のレベルは"9999"

 ゲームの面白さについて考えていた。昔にはまったアクションパズルで、まあ俺は簡単にひと時を楽しく過ごせるものだ。懐かしいファミコン的な面白さ。もちろん、昨今のバーチャルや拡張映像の面白さは、それはそれで今後の楽しみではあるが、XBOX360とDSくらいで俺はだいたい満足していて、PS4もswitchも買わなかった。360もDSも最後までやらずに放ったゲームが色々あり、積読のように「いつかまた」と思っている。昔は終わらないゲームを抱えることが気持ち悪さだったのだが、ある時に市立図書館が設立されて、その蔵書のうちプログラミングなどのパソコン関連書籍と数学の本は置いてあるだけ目を通したのだが、久しぶりに行くと読み切れないほど棚が増えていて、俺が今まで感じていた征服感のようなものは低スペックなファミコン相手のものと義務教育や高等教育の学習範囲の狭さから来ていたものだ。

 専門学校もコンピュータという歴史の浅いものを取り扱うので、数学と映像をやったらあとは音楽くらいしか残らないわけだが、音楽知識もつくとそれらで何をするか迷う。

 最近まで株式のチャートを毎日観察していたのだが、俺は今住んでいる家を将来親父が死んで相続してリフォームとか建て替えの必要性が出てきたら、いくらくらい必要かなという心配から「とにかくいっぱいお金は持っておきたい」と思っていた。

 しかし、簡単な掃除をするだけで、ボロくなっても自分で補修できないか、と考えるとお金の必要性が言い値ではなくなり、また俺は自分が持っている貯金で買えるものをクルマと家以外の大きな使い道を知らず、株は始めた時は少額だったが、今では東証プライムの中でも大企業を楽勝で狙える。ただ、それ買って何か意味あんのかなという疑念も膨らんでいる。

 そうすると、ゲームをしてスコアが増えるとか経験値でレベルが上がってHPが増えて攻撃力が上がってダメージも増えるみたいに、ただ数的な関係性を読み解いてパソコンの画面に出る大きな数字が「自分のもの」と思うがために現物の株式を求めたのではないかとすら思う。

 じゃあ、いっそこのブログで「自分のレベルは"9999"!」とか、「俺は宇宙一の金持ち!」とか「資産総額7589京4872兆5523億1267万9325円!」とか書いてその字を自分で見れば満足な気がした。その昔に有村浩だったか「フリーター家を買う」という小説が書店に並んでいた。家を買えないフリーターでも本を読んでその活字で幸福感や将来への希望を持つのだろう。

 株式市場ではインサイダー取引風説の流布は違法行為だが、投資家向け情報は客観性があるなら銘柄をニュースにしてよく、3000以上ある上場企業のうち、下がった株を買って投資家向けのニュースを書き、そうすればちょっと上値で売れて、そのお金でまた誰かが売った下値の株を買う、みたいな裏側から見たら簡単なトランプゲームみたいなインチキかもと思う。

 ちゃんと帳簿をしていないものだから、入った配当の合計と含み益と含み損の差額とか、万円単位でだいたい覚えているくらいで、これからはもっと細やかにやらないと申告とかで放っておいて芸能人が捕まった!みたいなことにならないように。仕事をしないでお金が増えると思って始めた株だが、帳簿という仕事が増えるならいっそ全部現金でもいい気もする。

 そうやって考えをまとめる上では、広い世界を旅するオープンワールド系ゲームより、ちょっとしたアクションパズルでテキパキと考えてキャラを動かす頭の体操のが好相性です。


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