スポーツあるいはゲームとしてのFPSを考える

 カプコン対戦格闘ゲームという狭いジャンルに人生の多くを費やした。

 けどまあ、どこかで冷めて引いて、ゲーム理論とか考えてた。ずっと続けた人が再販を機に動画放送や大会運営などをして、まあ視聴者は集まったようだが、すぐに似たようなチャンネルが乱立して、大会動員数も減少したようだ。

 何をやっているのか、と考えると、俺の持論のジャンケンだけではなく距離の計り合いや飛道具攻撃の命中予測みたいなこともやっている。つまり、有り体に戻れば読み合いである。

 ただし、勝負は純粋に1点ずつ取り合う3すくみのジャンケンではない。飛び道具や牽制技のヒットはダメージになるが、致命傷となるわけではなく、食らっても食らっても接近してコンボを入れると逆転する。だから、射撃系と接近系で有利不利が論じられるのだ。

 だが、考えてみると、実戦では銃だけではなく弓矢の時代から飛び道具の命中は致命傷であるはずで、スポーツのルールとして接近戦が有利だからとインファイトを好むものは、模擬戦で何度も飛び道具を打つ側に読まれて死んでいる。

 それを踏まえて、クソゲーFPSと人気のあるロボットTPSを比較すると、まあロボットの実存について先に考えるべきであろうが、ロボットの優位性は機動力と耐久性において人型で直感的に人と同じ動きで撃たれても即死しない装甲がある以外はサバゲー銃撃戦と同じだ。

 そうすると、不人気だが銃撃戦ゲームで敵が監視網を敷いている中を各個撃破するFPSでキルレシオが10倍くらいある場合。つまり敵10体を主人公ひとりでやっつける場合、敵が多少バカでも10回コンティニューするくらい難しいのは必然で、そこを越せれば訓練としては合格。

 その意味で、タイマンとか2対2でずっと射撃戦で遊ぶというのはもはやスポーツだろう。

 そのスポーツは格闘ゲームよりも実践に近いのかもしれないが、キルレシオが等しく銃が即死であるか否か、銃撃は敏捷性で回避できるものではないなら動きの読み合いとなる、という意味で巻き戻すと、格闘ゲームの対戦でもしていることに近い部分もまたあるのかなと。

 そうすると、長らく格闘ゲームを遊んでいたことに幾許かの取り残され感を持っていたものが、FPSに戦場を変えてもゲームソフトのひとりプレイとしての満足度はそれ以前のゲームの延長で考える部分と3Dになって変化した部分はあるが、変化した部分への順応が済むとスポーツ性で競い合うよりも、どちらかというと皆が自分と腕が近く高みを一緒に目指せるチームメイトとの交流が主生活ルーティンとなっているように見える。

 そうすると、新しいゲームにアンテナを張り流行を見極めて乗り換えて行くよりも、最初に面白いと思ったゲームに住んで仲間を見つけて時代に置いていかれながら腕前の研鑽をするというコミュニティの目的は今も昔もって、そんな昔じゃないというか。イマドキの価値観なんだろうなと思ったわけです。

 同時参加者数の多いネットゲーは軍隊対軍隊になるので、政治の要素があって、今の時代にタイマンや少人数チームでの対戦型を選ぶのって人間関係よりストイックな人の傾向があんのよ。その意味で、属するゲームが流行っているってのは内在的に軍隊が多いわけで。

 だから広くFPSで括ると、敵に回した時全軍掃射となるのも自明で、その日々がSNSでみんな撃つ前にアラート出してくれる感じの人間関係ではあるよね。


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