「分かる人には分かる」のパラドックス

 俺は19歳までゲームと音楽の好きな普通科高校の生徒というか幼稚園から小中学校時代もあるからその時点で時系列的におかしいのだが担任の先生に目をつけられながらも卒業までした。そに時点ではクラスメートのほとんど友達で生徒会や文化祭の実行委員もしていた。

 それから2年フリーターをして電車で30分くらいのところにある専門学校に入った。学科試験の成績がいい割に実務より芸術に近いCG学科へ2年から進学して、芸術系の先生から「勉強の出来る奴のくせに」と目をつけられ、学科に近いデータベースとかの先生に「こっちへ来たらいいのに」と言われたが、卒業制作でCG動画を作った。その作品はMOに焼いて就職志望の会社に作品として送ったが、就職したのは大阪の従業員6人の小さなパソコンゲーム会社で映像とか美術とは懸け離れた占いソフトのプログラミングが仕事だった。同期のイラストレータによく馬鹿にされた。

 それから建築事務所向けの構造計算ソフトを作るソフトハウスに3年勤め、富士通系列会社とコンパックからhpの日本法人が出来たところなど、派遣社員で転々とする。この時点で既に中学高校はおろか専門学校時代やバイト時代から知っている仲間はゼロになって孤独だった。

 それでもゲーセンに行くと顔見知りがいて「頑張ってるなぁ」とか「デザイナーに成りたいとか言うけどミヤーンの今やってる仕事とその憧れの仕事がどう違うか俺らにはサッパリわからんなぁ」とも言われた。

 派遣で転々としていく中で、プログラマとしての俺を応援してくれるコンピュータ関連の会社をしている社長さんの知り合いが増え、プリクラメーカーを紹介してもらい、そこからさらに大手ゲーム開発メーカーに入る。が3ヶ月で退社することになる。「何をしてるか分からない」と。

 そこで最初に頼まれたのは人がペイントツールで描いた絵をドット絵のゲーム用素材に落とし込むツールだったが、それだけの仕事で3ヶ月以上の納期があって契約は3ヶ月以上も継続延長の可能性はあった。だが俺は1ヶ月ほどでそのツールを自分で使えるところまで作り直して、やりたいのなら、ということでRPGのゲームシークエンスの開発に組み込んでもらった。

 作業はメニュー系プログラマだけで6人で俺は新人だが最年長。しかしまあ、ブログに不満をぶちまける気はない。他のスタッフも頑張っていたし、管理職は日報くらいしか見ないから伝わるわけがない。どんな会社でも抱えているような業務改善の提案を新人が出来るはずもなく。

 それよか、家族や友人でも俺の抱える仕事の専門性ゆえ愚痴すらこぼしても専門用語が入るのだが、ネットでSNSをしていると、世の中そういう人は結構いるものである。

 そこで分かる人には分かるという仕事ではなく、NHKプロフェッショナル仕事の流儀のディレクターみたいに分からない仕事でも紹介映像でいかに見られるストーリーに仕立て上げるかという能力が簡単な説明には必要で、開発大手でも雑誌に載る開発車よりも「自分たちがやっている」というプライドをテレビ局のスタッフドラマみたいな夢でやる気をつないで働いているのだ。

 だから俺もこうして自伝を書いて小さな満足を得ることがやる気につながっていると言える。

 「やる気があるなら若い人のいる開発会社でアドベンチャーゲームくらいからゲームの作り方を学ばないか」と持ちかけられた時には人生の疲れでやる気ゼロだったが、後悔など何もないようであの時も仕事を選ばず食いつくべきだったかと思うことはたまにある。

 まあ、その後悔を払拭するなら今からでもやる気を出せばゲームの1本くらいもう1個作ってやれるかと思いつつも、自宅の部屋でひとりで作業となると結婚して嫁さんがいるとか、家族がいないと俺の仕事現場は誰も見ないわけで、組み上がってゆくプログラムに対して、未完の状態を完成形に近づけたら仕事をしていると分かってくれる人も中にはいるが、組み上がってみるとどこかから完成品をコピーしたものと区別が無くなってしまう。

 それが不出来だとアマチュア作品に見えるが、出来栄えが仕上がるほどに俺の存在は陰になってゆくのだ。だから誰に知られずとも良いものを作れば良いという段階は俺の場合既に通り過ぎていて、自分の仕事を他人に分かる形にしないと悩みは晴れないことまで分かった。

 つまり分かる人には分かると思って仕事を続けたら、完全に自分しかわからない状態となったわけだ。いやネットで探せばいるとは思うけど、家の近所の人々の話ですよ。

 朝からペイントで絵を描いてピクセルツールでドット絵にして昔作ったゲームにSDKスクリプトをいじって新キャラとして入れたのだが、それが午前には「仕事をしている」と何となく外部に伝わったのだが、近所で工事をしている業者がお昼で持ち場交代となって、午後には「昼間っからゲームで遊んどる」とドカタが部屋から聴こえる音にキレて運んでいる建材をドンガラガッシャーン!とやって、年寄り筋の職人さんがなだめるところで俺の仕事も中断。

 この辺が大手のゲーム開発会社でも音は最後でデバッグは専門の部署に投げるという理由なのだろうなと思った。理解できた。プログラマはプログラム以外の仕事を人に見せないようにして初めて専門職として他から認められるとでもいうか。

 街中で建設業として働いている職人さんでも近所の家の中にいる人の生活を音で想像して管理しようとするものなのだなと思ったことに憤りがあるが、そう考えると俺が理解されないようにプログラムが遅々として進まない現場でも分からないのはこっちの方で人の頭の中身まではわからないわけで、頭の中身をプログラムにしてタイピングできないからといって即座に仕事が出来ないと切り捨てると、自分よりゆっくりだけど大きなシーケンスで囲おうとしているような仕事には全く気が回らないということも起こりうるわけで。

 将棋のプログラムでも機械学習が出てきた時には想像の範囲を超えていると思ったから。今ではその機械学習というのが言っちゃえば勝ちの四文字熟語になっちゃった残念さも含めて。


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