ピアノが弾けると言っても色々な段階がある

 話がメチャメチャにもつれているんです。

 かれこれ10年ほど前になるんですが、街中で喧嘩をして整形外科の先生にかかったんですよね。美容整形ではないですよ、腰痛とかで通う爺さん婆さんが多いんですが、骨折です。殴った手の甲の骨が折れたんですよね。右手の薬指。

 それで喧嘩の話ではなく、整形外科の角谷先生に「ピアニストやって言うんやったら手術したる」と言われて「まあ、ピアノちょっと弾きますけどピアニストというほどでは」というと「なんて奴や!」とよく分からないキレ方をされて、結局指の曲がり方が少し変形したまま、自分で整形とかリハビリの方法を試しているうちに10年くらい経っちゃったんですよね。

 自分でも何がなんだったか分からないところが多いんですが、YouTubeにギターの弾き語りやピアノの演奏をパソコンのウェブカメラで撮影してアップしたんですよ。だけどピアニストを自称した覚えはないよなぁと記憶を辿ると、どっかで友人と回転寿しを食いながら「モリカホって天才ピアニストだよなぁ」みたいな話はした記憶がある。

 ここで言った言わないの難しいところで、「アホ!」「アホって言った奴がアホやねん」「あっ、二回言った!」みたいに「言った」という語は用法が広く「清塚信也はピアニストだ」と言っても、発音に「ピアニスト」が含まれるために「ピアニストって言った」と解釈することが出来るんです。だけど、整形外科の先生がキレているのは恐らく「ピアニストを自称した」とか「豪語した」ということであって、世の中には謙遜して「ちょっと弾けます」と言ってメチャメチャ上手い人というのが居たとして、本当にメヌエットが弾けるくらいで「ちょっと弾ける」と言った記憶もあるのですが、なんか伝言ゲームで俺が天才ピアニストと豪語したまたは嘯いたって話になって先生はキレているんじゃないかなぁ、と今更に整理したわけです。

 「ピアノは簡単に弾ける楽器だ」とも言ったことがあるんです。初めてでは音も出ない楽器と違って、調律されて組み立てられたピアノは指で鍵盤を叩くだけで鳴るわけですから、手指が動けば弾けるわけです。ただし「音楽とは何か」みたいな議論から「弾けるってどのくらいを言うのか」となると、これは俺はバイエル初級と記された楽譜集から最初の曲を選んで練習してみたら弾けたという話なんです。

 まあ、指の骨が折れて10年で特に自分の手に対して違和感は無くなり、ギターは続けたし、カシオの玩具の電子ピアノよく使うんですけど、ちょっと弾くのに不便はなくなりました。

 ただやっぱ、運指トレーニングをしていた頃より薬指と親指の距離が変わって弾きづらいと思ったこともありました。あの時本当に整形外科の先生に謝って手術しておけば、もっと変わったのだろうかとふと思い出すんです。けど、見た感じ病院にそういう設備とか技術があるように思えなくて、お医者さんが患者のことを勝手にハッタリと思い込むレベルだから、大したお医者さんじゃないんだろうなと思ってしまって「お願いします」と言えなかった。

 そもそもが、ピアノは俺にとって元々趣味でカッコつけたテレビのアイドルに対する喧嘩みたいな感じで始めたことだから「ごめんなさいお願いします」とお医者さんに頭を下げることは反対にピアノがもっと上手く弾けるようになりたいという反骨心が原動力の行為と矛盾してしまうんですよね。結局、こうしてブログで吐露しているのは若干の疲れや諦めがあるわけで。

 何のためにやってんだろうなって、もうちょっと自分を掘り下げるか、無心で楽器に向かうか。その辺が、まだまだたくさんの自己矛盾を抱えた未熟さなんだろうなと思うわけです。


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