これまではデッキを繰って運の絡むゲームをいかに定性的に出来るか考えてきた。40枚中3枚までのカードを3枚ずつ入れて、デッキ圧縮や引き増しで強いカードが常に手札に来るようにする。そして勝ってきたわけだが、どうやらそれだけでは飽きてしまう。勝ったはいいが、同じような押し相撲の展開ばかりになるからだ。
もちろん、その中でも展開に微妙な差はあるし、勝っているからそれでも良い。強くなるというのはどこか型にはまってしまうということなのかもしれない。飽き性の俺には勝ち負けの問題より同じような事の繰り返しになるのが辛いのだ。
小説スカイクロラが映画化されたときに同級生とふたりで見に行ったが、印象に残ったセリフがある。「毎日同じ道を歩いていても景色は毎日違う。それだけではいけないのか」同じ道だと同じ景色だと思う人もいるだろうが、道端の草が少し伸びていたり天気が違ったり、都会だと建物が建て替わったり店の商品の陳列が変わったり。
このブログも同じようなことではあるものの、毎日違う文章を投稿している。だから遊戯王をネタにするなら毎日どこかしら変えるべきであるという強迫観念もある。
町の人間は毎日同じ仕事をしている人が多い。なぜ手を変えるのか、変えるということは小難しいゲーム理論などを語る割に答えが出たのではなく今までの手が間違っていたのかという風に単純にか複雑にか、とかく嚙み合わないのだ。
愚痴はここまでとして、遊戯王の話をする。まずは今日のレシピ。
ゲームに不慣れなうちは使えるカードの種類や勝ちパターンが少なく、自分の出来る勝ちパターンに可能な限り必然的に持っていきたいと考えがちだ。
それが勝って飽きて崩して変えてを繰り返すうちに偶然的な別パターンでも勝って、それからどの勝ち方が最も強いかということを比べてきた。
それらはトレカ用語で俗にアーキタイプと言われ、ひとつの勝ち方を目指す何型のデッキであるのかということに分類される。型には得手不得手がある。
今はいろいろのアーキタイプを崩してみて、必然を求めるのではなく、偶然性を意図的に組み込むために1枚ずつデッキのハイランダーとした。高地民という意味なので、まあ俗世から高みに至った程度の軽い英語ジョークだと思っている。
ただ遊戯王がゲームとしてお手軽化というと、将棋盤や麻雀牌のようにそれで完結するものではなく、人が持っているもの、店で売っているもの、パックに封入されているものを自分が持っているものと入れ替えて遊ぶことに面白さと経済性があって商売として成立している業界だといえる。
それでも、そこまで勝ちに執着しなければ、ポケットに入る量のカードで色々の人と遊べるのかもしれない。商売として成功させてお金を儲けて暮らすか、デュエリストとして勝ち上がって賞金王になるかというところで、日本のトレカ業界はまだまだプロといっても大手カードショップのお店番と兼任。プロゴルファーがゴルフ道具屋か打ちっぱなしの経営か指導料の先生ビジネス化というところ。
アメリカ人はな、めちゃめちゃ金持っている奴が趣味でプロ負かすみたいなイメージを持っているのだが。残念ながら俺の住所は日本。いや残念でもないかもだが。両方やってみないと比べることはできないのに人生は一度きりだからな。隣の芝は青い。
勝っている奴がたくさん持っているように見えてその裏には負けたらナッシングのえぐい競争が隠されているのかもしれんし。俺が遊戯王をDSで遊ぶのもその辺の事情かな。