新しい手帳は1月から!

 なんとなく本屋に行って、雑誌を立ち読みして、将棋のコーナが気持ち増えていて、占いの本のコーナーはなくなった様子。特に欲しいものはなかったというか、近頃本を読めなくなってきているから、読まないものは買わない。

 代わりに手帳を1冊買った。今使っている手帳は100均のもので、10月から始まるビジネスダイアリーだ。最初はセールで売られていたバインダー式の手帳から初めて、翌年に日付付きの手帳を買い、書き足りない感じがしたので大きめのものに買い替えた。そして新しく選んだものは今使っているものとサイズ感が似ているが価格にして6倍。なんか本屋さんで売っている上等の手帳をいちど使ってみたかったという理由だ。

 手帳を買い替えるのにためらいはあった。何故なら、自由式のノートなら好きな時に書いたりやめたり出来るが、日付付きのものは毎日何か書いて埋めていかないと罪悪感があるからだ。このような心理的なゆるい束縛もまた今年の研究テーマだった「呪い」の一環だと思っている。

 呪いというとオカルト的に思われるかもだが、俺が本をあまり読まなくなった理由に「ビジネス本には成功者バイアスがかかっている」という論法が、そのまま古典においては古典的典型的とされる成功例のバイアスがかかっており、現代でそれを役立てる方法を考えるのは、さながら物を作るのではなく既成の道具で道具の意図と違う仕事をするかのようであると考えるからだ。

 本で得られる追体験から実体験で得られるもの、そのうち間違いがなく同じことが再現できるものを科学と呼ぶらしいが、基本的な道具で出来る科学は恐らく義務教育とか高等教育ですべて学んでおり、そうでない科学は自然科学ならその自然のある森林などを訪れないといけないし、実験器具が高度なものは入手や複製が困難である。

 まあ、俺自身コンピュータ技師。基礎理論から学んだが、岩山を掘ってコンピュータを組み上げたわけでもなく、ノイマン型コンピュータが市中で安く買えるから成り立っている商売ではある。

 だからして、技師としてコンピュータで仕事をせねばならないというのもひとつの呪縛であり、スケジュールをスマホ任せではなく手帳を使うことで、スマホに対する依存度を減らし、電池切れや紛失のリスクを大きく下げている。マイナンバーカードが政府主導で進められているが、銀行の通帳と印鑑は分けてしまっておくみたいなリスク管理の基本からすると、個人情報を全集約してひとつのカードにするのはリスク集中で紛失したら危険すぎやしないかと。Rubyの松本さんもツイッターで同じこと言ってたが。

 書いておいて何だが、このブログも呪いまみれである。まず1993年ならともかく、2022年にストIIターボとは何であるか、知る手がかりの無いものからは到底読めないような固有名詞に満ちた文章と呼んで良いかきわどい文字列を送信している。

 解読するためには黒魔術に深夜の十字路や蝙蝠の死骸がいるように、ゲームセンターでもレトロ寄りの店か壊れずに動いているスーパーファミコン等が必要である。

 コックリさんのように絶対にやってはならない儀式のようなもので、ただのゲームだろうとなめてかかったものが迂闊に対戦を経験すると、自分の手の内がすべて読まれたような錯覚をして、強いものを崇めて畏れて敬うようになる、人もいる。

 将棋やマージャンにもそういう要素はあると思う。トリックを全て知るころには、単に知識人の教養の域から専門家の領域に深く踏み込むことになる迂遠なロジックだ。

 実はこれらは恐るべきことではなく、勝負事を避けるというのが古典的典型的な常識である。だが、勝負の勝ち方にも古典があり、互いに相容れない知識体系として勝負を避けて懸命に生きる知識人と、勝負師と、時に俺もそうだが好奇心でやっちゃった人がいるものだ。

 まあ、手帳くらいのマジックアイテムに日々真面目に記帳するという呪いの効果があって、呪物に呪われているというよりは、人生のつまずきに対して今後は真面目にやろうという自戒の念があるだけで、街を行くほとんどの人は本屋に10月に手帳が並んでも無視して通り過ぎてゆく。

 10月から翌年の12月まである手帳の引継ぎには3か月の重複期間があって、その間も2冊に何かを書き込んできたが、新しいものは1月から。さあ、来年も呪われるぞと意気込むものでもないが、とりあえず名前や住所から記帳した。


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