今日のカプエス2(Aサガット山崎ベガで裏ボスクリア)

 カプエス2のチームで画面写真を撮るときに「掛け合いセリフ」が面白いと思ったものを撮影してアップしてたりするんです。

 こういう風に山崎先鋒で勝つと中堅サガットと会話になったり、対戦相手の最後のキャラに捨て台詞を吐いたりするんですよね。

 こっちは乱入キャラのギースに勝った時の勝利画面なんですが、来た人が見ているのが画面写真でも右下のほうの黄色枠に出たGP: 1722.059というグルーヴポイントの数字。1枚目だと877.351で少ないという評価が下るわけですが、これは最初の方のステージだからなんです。その意味で、最終スコアが最も高いのですが、アーケードゲームとしてのカプエス2はクリアもゲームオーバで100円入れてゲームしてもクリアしたらその後は動かせなくなって、終わって席を立つように出来ています。そのためエンディング後にGAME OVERの表示とハイスコアが出るのですが、そこで写真を撮ると今度は知らない人から「ゲームオーバー=負け」みたいに思われることもあって。

 まあ、動画にしろって話だとも思うんですよね。ブログは読まれなくても動画だと1ゲームあたり500再生位の数字が取れたりする。そうしてみて、ゲーメスト育ちの俺は自分で活字を打つのが面白くて、ゲームしてビデオ取って、それが再生数増えてもあんまり面白くはなかったんですよね。

 研究と称してするのに主観的な面白さよりは他人の役に立ったかという社会還元みたいなところがゴールで、俺が勝ちたくて勝ちという結果を収めたという自己満足を社会還元するというのも難しい話で、科学の戦争利用から科学は社会を豊かにしてこそという規範が出来ていくけど、ブログを始めとするオウンドメディアで戦争のプロパガンダと同じように、例えばテリーのファンが相手の強キャラをテリーで倒す、その試合自体は公式戦とかではなく八百長でも、映像的にはテリーが勝ったものを何らかの文言と一緒にしてネットにバラ撒いてテリーの勝利を広宣流布したいっていうような活用法の人か団体か、あるんですよ。

 言論の自由というものを否定するのかという攻撃はあるにせよ、暴力を使っていなくても真摯に何かを伝えるのではなくデマで勝ったことにするというのは戦争的で、社会に対しては勝利で得られた奪取利得がないまま勝ったことにしているわけだから、優勝セールみたいに戦勝の祝杯を上げたその酒代はどっから出てるのというと、嘘ついてだまし取った酒をかっ食らってどこかに泣いている人がいる、だと思うんです。

 戦争に是という立場は、収穫量が多くて戦力の低い国と争って飯を取るというのが根本にあって、一揆が成功するのも悪政がはびこって大名が軍事に弱く農民の方がやる気と数で上回った時だと思うんですよね。他国から戦争で取らないなら、自国で作るしかなく、年貢の多いか少ないかに関心が向いてしまうんですよ。

 その意味で、ただ勝ったただ負けたというわけではなく、文筆家として研究者として読んで理屈が分かって、同じようにやってみたら勝てるというところをゴールとするなら、相手が誰でという再現不能のテーマではなく、市販されているPS2の標準難易度でというくらいは「何だよ対戦しねぇのかよつまんねぇな」と思われても、合理性あり。

 ゲーセンで対戦すると店に100円取られるので、ゲーム機で遊ぶ。その遊びがゲーセン対戦と同じように白熱して面白いものであれば、社会利得という意味で広く来るとゲーセンはもうからないわけで、ゲーム屋さん電気屋さんお客さんで儲かるという構図になると、ひとまず目論見として成功になるわけです。

 しかし、俺が子供の時は親のファミコンで遊びつつも、爺さんからもらった100円玉を握りしめてゲーセンにゲームを見に行くというのは楽しいことでした。それがストIIあたりからゲーセンと家庭用の新しさの競争が家庭用有利に逆転していくんですけど、それはゲーセンと家庭用ゲーム機という育ちのせいでそういう世界観が出来ただけで、業務用コンピュータと家庭用マイコンという軸から世界を見ていた人とは別世界です。

 今は、SNSで毎日のように古いマイコンの画面を見せてもらって、その画面や音声から、俺が生まれて物心つく頃とか、ゲーセンとファミコンで競っていた頃にマイコン業界にはどんなものがあったのかなど、見せてもらって学んで考えて世界観をもういちど考え直しているところです。

 言論についても、昔の学校は教職員組合と野党派の関係で、一方的な政治思想から偏ったものの見方をしている部分があるのかもしれないと思います。そして私学という特殊環境だったし、コンピュータの専門学校なんてのも超マイナなわけで。

 まあ、それはそれとして、長いこと続けてきたカプエス2をいきなり辞めるのはそれも違うなと思って、今日はAサガット山崎ベガでゴッドルガールをワンコインで倒して満足を得ました。外の世界でもっと新しくて面白いゲームが流行っていたとして、その流れに付いていくとか、ただタイトル的に新しいものに飛びついても映像的な体験としては良くても、ひとつのゲームを研究してそれを取り巻く論理的な攻略や自分の認知の仕方っていうより「見え方の変化で同じゲームを新鮮に遊べる」という体験がゲーム機の新作定価くらいで買えるとも思っていない部分もあって。

 まあ、ただキャラを変えただけ以上に、今までよりも新鮮に遊んでおります。どういう風にかを説明するには今までの捉え方を説明した上で「その何が変わったか」を説明する必要があると思いますので、また読まれなくてもチビチビと書き進める予定です。

 そここそ、文章ではなく動きをビデオ化した方が伝わるだろ!とするなら自費で録画環境を整備するところからやらなきゃかもだけどさ。活字は手抜きなのだろうか。


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