3Dグラフィックスの最適生成法の計算をしている

 まあ、3Dグラフィクスの計算といっても色々なアルゴリズムがあって、俺が使っているのがレイトレーシングという光と遠近法による計算なのだが、もっとラジオシティ法とかゲーム機用の新しい手法もあるらしいので、それは深く学ばずゲームで遊ぶ。

 学校で3Dを学ぶ前はドラクエゼビウスドルアーガくらいのゲームを自分で作りたいと思っていたが、学校行くのを契機に部屋にパソコンを買ってもらった。親父が仕事で使うのを1台分けてもらって部屋に置いた感じだ。そのNECバリュースターが最初のマイコンで、それでネットでコンピュータ将棋大会3連覇とかAtCoderにおっさんが挑戦とかで有名なのか何なのか、当時はコナミビートマニアをネットでタダにしてばらまいていた某氏をプログラムの師と崇め、HSPと同じと言われると本人がアーキテクチャの違いについて1時間説教して怒るスクリプト言語でシューティングを作った。

 学校で卒業制作を作る前にシューティングを作ってしまい、資格も取った。人生楽勝かもと思ってゲーセンでKOF'98に夢中だったが、格闘ゲーム系の作り方はイメージできず、また3Dと言ってもプログラミングで自作できるものは知れていて、主にアメリカ製のツールソフトを買ったりコピーしたりして、その使い方を覚えてモデリングという作業をするのがその時に見ていた将来像だった。

 ツールで出来ることは当時はパペットアニメーションだけだったので、プログラムで根本からやらねばゲームにはできないと思っていたが、顔面モデルと眼球モデルを分けることで目線をアニメーションさせる卒業制作を作った。

 それから小さな大阪のゲーム会社に就職したが自社製品のへぼさに「ここで学ぶことはもうない」と半年で辞め、職安に行ったら資格を持っているなら職安なんて来なくても仕事がありますよと言われるままに谷六のソフトハウスに勤めだした。

 プログラマとして20年くらい3Dゲームとあまり関係のない仕事をしてきた。建築パースは3Dだし、ゲームではないがプログラマで、給料の使い道を最新ゲーム機にするとお釣りがくるので「それでいいじゃない」と周りになだめられてきた。

 しかし、40代もなかば30代までにやっておきたかったギターなどにも満足して、もういちど学生時代の夢の続きを現在とつないで、何らか妄想ではなく他人にも見える形に表現できないかと考え出した。まだ考え中なので妄想と言えば妄想である。文章でもあるが。

 3Dモデルの制作というのは学校と家を往復しながらフロッピ1枚にモデル数体くらいの容量で1体に数か月かかっていた。これをゲームの敵キャラとかの数だけやるとなると、何年何十年かかりそう、ということで多くのゲーム会社はモデリング専門の下請け会社で3Dの元ネタとなるモデルを専用ツールで作る仕事というのがある。

 俺はそういう仕事には将来性は無く使い捨てだろうと思っていたが、ツールベースの仕事でも使い勝手をそのままにツールが拡張されて、昨今の3Dモデルがアニメーションするようなゲームもプログラムから起こすのではなくツールベースで作られる。

 ならいっそ、ツールやモデルをお金で買ってしまえばという発想もわいてくる。ライトウェーブで15万円くらいだが、ゲーム会社には社内ツールがある可能性もあり、ではモデル1体は形状の複雑さから何円付ければ良いだろう。ライトウェーブすら古くは雑誌の付録で付いていたし、古雑誌を探せばツールにモデルがCDの付録で500円とかで見つかる。新しい本で1冊5000円くらいでツールの使い方が解説されている。

 昔は使い道のなかった静的モデルでも、ツールの進化でボーンを組むと変形出来てアニメ素材に化けるわけで、そうなると金鉱脈かと思いきや、同時並行的に3Dゲームの乱立で価格破壊と過当競争が生まれ、作るとしたら実費を回収できないものとした凝った趣味ということになりそうだなと思う。見積もり赤字だ。

 赤字でもネットで目立って人が集まれば、それはツイッターのフォロワーをお金で水増しとかと違って、実際に映像を見て評価してもらって人が集まったら、自分の評価にならないかなと思うものの、モデルを買ってツールで動かすと原作モデラとツールプログラマの評価に適正にならないと、俺自身がネットの闇になってしまう。

 結局、コツコツ作った将棋プログラムのお気に入り3件とブログ読者とグラディウスを作ってみたの視聴者数くらいしか、コンピュータの仕事で露見しているものは無い。

 その状態でもっと俺出来るのになぁと思っても、会社に仕事を隠されて給料の札束だけが露見すると庶民感覚で「何か悪いことで儲けているに違いない」と勘繰られてこき下ろされた原因も分かる。もっと、アウトプットを増やさなくては。と焦ってる。

 しかし焦りからは俺の場合は良い仕事は生まれない。アメリカからやってきたコンピュータなるもので黒船来航のごとく日本が不利な下請け状態になっていることを認知したうえで、それでも任天堂ソニーは商業的な成功を収めているわけで、そのさらに下に位置している会社の監査とかをしていて、本当に上を見た仕事が出来ているかは分からない。上から来たものが下に流される仕事で、体制を認めてその中で上の立ち位置を目指すのか、体制そのものを批判するだけの負け犬になるか、それらすべてが覆せるようなイノベーション技術が未来形でも実存しうるのか。

 現状、ネットは大企業の情報収集のツールでありながら利用者にも開示されている地図やSNSなどを利用して、社会の在り方は少しずつ変わってきている。企業体質なども変わっているのだろう。その結果、コンピュータのディスプレイ表現で自己完結したグラフィックスは絵画芸術と等しく、大富豪の悪趣味でありつつ、その真価は分からずとも取引価格を知った泥棒の標的となるだけ。ほとんどの市民からはただの絵なのだろう。ただの絵なら、審美眼など無くとも愛嬌のあるマンガ絵が時代の流行だ。

 もちろん、その流行の絵であるマンガにも評論家はいて人気の多寡はある。売れないゲームクリエイターは冷や飯であるというのは、つまるところ業界が人気商売だからだ。その辺に対しての感情を何とか行動意欲に変えて仕事に変えていきたい。まあ、こうして書いているこの文章も俺なりのアウトプットなわけだが。

 ペンで描けるマンガ絵に対して、先にも書いたがコンピュータの芸術利用なんてのはともすると悪趣味的ではあるよな。そしてそれが賃金労働となった時の被雇用者のフラストレーションも買い手に向けられる。その矛先がいっとき俺に向いたのだろう。


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