「學天則」を知らなかった話

 テレビのお笑い番組を見ていて「学天即」というコンビが出ていた。

 初めて見たわけでもないが、そういえば名前の由来を知らなくて、今更ながらにググった。そうすると、思っていたものとは随分と違った事案が検索にかかったのだ。

 そう、世の中勉強していないと付いていけない。それが何故かも分かったように思う。いまどきのプログラミング界隈では常識語となっている"Python"でも、6年前に出てきたときは新しく命名された固有名詞だったわけだ。固有名詞とはいえ造語というわけでもなく、ある単語がプログラム言語の呼称として使われ始めたのだが、もともとその意味はなかったはずなので、固有名詞として認識して良いと思う。

 それが、いつの間にか「知らないほうが悪い」とまで言われんばかりの普及をみせていることがどこか空恐ろしいのだが、考えてみると小中学校の頃は先生の知らないゲームの名前などをたくさん知っていた。それでも、先生の方だって子供の知らないことをたくさん知っているはずなのだが、子供には口をついて出た言葉と板書したことしか伝わらない。スライド教育、視聴覚室が学校にあったが、あまり上手くは利用されていなかったと思う。今は生徒ひとりひとりにノートパソコンやタブレットなどの端末が行き渡っているらしいから、過ぎたことと言えばそうなのだが。

 流行りの競プロの行く末は工学における"TRIZ"になると予測している。日本でも、ロボコン高専生などがポンコツロボット同士でスポーツをする余興をテレビで茶の間で見る時代に育った俺だが、機械駆動の装置の答えには新しい発想はなく全てドイツ式で出尽くしていてそれをまず学ぶべきであるという思想があった。学びの過程におけるものに失敗から学んで創意工夫せよという傍らで、東京大学工学部ではドイツ式の"TRIZ"が教えられていた。

 俺はプログラムを学んでから15年ほどかけて、どうにかコンピュータ将棋を自作して大会出場まで漕ぎつけたが、その過程にあった失敗はコンピュータ将棋史から入ると全て記録されて克服されたものであった。そして「せっかく大学まで来たんだから学んで帰ったらどうですか」と嫌味を受けてから、自己流だったモジュールに苦渋の思いで東大式のモジュールを組み込んだ。そうして、大会を終えたすぐからすでにそういう方式ではなくPythonというのを使うらしいという情報が入ってきていた。

 どこかで付いていくことをあきらめていた俺に競プロの情報は入ってきた。そうして、そこでも多種多様な言語があるが、その中で何を採用すべきかというところでPythonという単語を先に仕入れていたのは幸運だったと思う。ちょうど、目的に沿った用例がすべて示される前の試行錯誤の段階に少し遅れ気味ではあるが追いつけた気がする。

 追いかけていた多くの優等生は、案外と二番手以降で待っている。新しいものを産める人はごく僅かだが、既にそういう人がどこにいて何をしているのか突き止めて、出来る瞬間を待ち構えているのだ。なるほどこういう仕組みだったのだなと思った。


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