過去研究の続きに取り組む用意が出来てきた

 コンピュータの使い道をもっと考えることにした。

 CGとかAIとかに凝ったこともあるが、画面に何か出るとか屁理屈をこねくり回す道を究めんとしだしたのは何時からか。ゲーム好きが高じて勉強を面白がったけど、それを仕事に出来たのは「若いから」という理由で採用してもらえたのは大きい。

 「まだ若い」というのはTLに流れてくるマイコン映像を見ていると分かるので、ゲームの道を究めるにはまだ道半ばなのであるが、先端開発に追いつくために何をすべきかという問題と、既に自分の満足度がインベーダー程度で満たされているというのもあり。

 親父の店の来客観察カメラを下手でモニタリングすることで、自室で色々することに決めた。ずっと病気で寝ていた時期があり、意欲喪失状態で薬で損なわれた思考を勉強で補い、無くしかけていた生きる気力を漫画とゲームで取り戻そうとしてきた。

 気づけば働いていた20代の序盤に、ソフトハウスでも計算機実験以上に思考実験が長く、何もしていない時に3DパイプのOpenGLスクリーンセーバーを出していれば部長が通った時に何か計算しているみたいでスルーされた記憶がある。まあ、今思うと何もしていなくても大目に見られていただけだし、その与えられた暇には出力部の開発で貢献できたと思ったから、退職を決めた。

 ひとまず、家探しで大事にくるんで仕舞ってあったWindows2000のノートを出してきてスチールラックの本とドラクエエヴァンゲリオンボトムズなどの玩具を片付けてノート置き場を作り、計算機を電気代を惜しまず計算し続ける環境にするためセットアップしてスクリーンセーバー状態にしておいた。フェイクに近いが計算はさせている。見ていて面白い。

 次に日本HP勤務時代に買った玩具であるレゴマインドストームも部屋を片付けて取り出した。買った時にはバカ高い未来の玩具のような様相で、取り寄せだったと思う。

 しかし、じっくり向き合うことのないまま、自動走行車のひな型として遊んだだけで、それ以上使い方を考えることは出来なかった。

 親父の世話だけで生きていたので、節電を考えて自宅の色々の機器を止めて回った時期があり、それも親父に頭がおかしいと思われ「お薬ちゃんと飲んでるか」と心配されていたのだが、ウチはまあ便利道具屋なところもあり、電化製品を見せびらかすことも仕事の一環なのである。電気代を惜しんでいては仕事にならない。

 電気フル稼働で、その分だけ売れそうなものを考える。SDGsに逆らうガンプラ屋のような商売である。さらに買ってちょっと演奏して置き場に困っていたシンセサイザJUNO-Diモ出してきてケースに入れて壁に立てかけた。MiniMoogも追加で買ってやろうかと思っているくらいだ。

 親父が店を閉めたので、来客観察カメラ用モニタの電源を切って、ブログもここまで!


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