メソポタミアが気になりだした

 世界史って、そもそも何からやりだすの?

 俺は恐らく興味の赴くままに教科書を読み込んで、ギリシャの彫刻写真とかからヨーロッパに興味を持って中世ヨーロッパから教科書を読み込み始め、興味のないところは分からないまま放っていたが、復習に際してまずダイソーで世界地図を買ってきて、ここ最近はニュースで話題になる地名を地図で確認して、地理から攻めてみていた。中学の頃はゲームばかりしていたので、教職員の間の研究で学力のグラフは小四から中二あたりの差がその後の受験との相関関係が顕著であるって話で、高校まで行って受験が目前に迫った高三で追い上げようとしても世界史は理系にはセンター科目だからと7掛けくらいを目指して単語のように事物と年号を覚えるって点の取り方で、それって小学生の中学受験みたいな勉強法だと思った。

 世界史で文明の興亡などから地図を描いて歴史が進むごとに地図を描き替えていくと、その中で地形というのはあまり変わらないので、現在の国家の国境を基準に地理から入って「どこ」というのが、過去においては違う仕切りでその意味ではゲーム三国志信長の野望で織田で始めて天下を取ってみると、織田領が戦によって広がったり狭まったりする、みたいな天から見た地図の色分けの差をもっと細分化したように、国境のない地形図の上でポピュラスシムシティにあとはまあA列車で行こうかな、ああいうゲームを好むほうが頭の中が歴史家になりやすく、もっと長い年月で起こったり滅んだりしながら、文明というものも一定の地で発展しているようで、その核となる知識技術を持つものが滅ばずに移動したから千年の発展があるわけで。

 でもそうしちゃっても、メソポタミア文明とかは滅んじゃったわけで、どうやって滅んだろうと思うとそこに研究テーマがあり、世界史として史観を年表で学ぶのではなくメソポタミアの文字版や遺跡調査をしている人の発表に創作性はないのか、というところをさておいて、信頼して他の時代や地域と相関関係を考えていくわけで。

 その状態で、教科書を7掛けで全部読んだからと言って世界史を文明の起こりから近現代の発展まで繋いだ人類史みたいなのを紡ごうとしても、それは危なっかしい創作の色を持つわけで。調査隊が創作してるんじゃないかと言いながら自分は創作じゃないって勝手は通らないわけで。ただ、その創作においても事実に立脚して論理性に他者合意性があると二者の間で「もっともな話」になるって性質はあると思うんだ。

 まあ、そうなると地形と語学は最低限いるわけで、そこで語学と社会科で文系になっていくのは分かるけど、発掘調査とかの年代測定には化学を使ったりするようで、その意味で何もしていない俺はとりあえず偉い先生の書いた歴史書を読む高校生のままの視点と一度は社会人として現代日本の法体系や経済の中で作られた社会の社畜として生きた経験とすり合わせて考えると、文明が滅ぶ理由にも色々あるとは思うけど、ひとつには河川の整備や住居の建築が進んで利便性が上がっていく社会で人間の世代交代が進むと前世代の知識技術が継承されずに便利な中で育った人の暮らしに「何かヤバい状況」が訪れたとして、それに対処できなかった、何して良いかわからず滅んだってのも考えられる。まあ、それは比喩的に今の俺なわけで。

 その意味で、社会の構成員のほとんどは指揮系統が無いと何して良いか分からない人かも知れず、それでも田舎である程度の自給生産が出来ていれば残る文化というのがあって「昔に戻せ」みたいに論じる人も分かるけど、俺の今の立ち位置はその対極にいるコンピュータ技師なので、どうにかこうにかすり合わせないといけないなと思ってる。


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