虚無感の正体

 スーファミ版のストIIは確かエンディングの後にスタッフロールがあったんだけど、ストIIターボになるとメモリの関係でエンディングがアニメ絵2枚と表彰台だけになっている。ゲームの相手としてはターボの方が強くなってて、四天王も使えるんだけどクリアしてもあっけない感じがあり、当時求めた「対戦の面白さ」ってやつと音楽が流れるスタッフロールのどちらにより重い価値があるだろうと思うと、対戦が複雑化してスリリングになっても心に残る一編の音楽ほどの価値は無かったのかもしれないなと思う。

 これは実はドラクエIIIにオープニングが無いのも同じで、ドラゴンクエスト初代のオープニング画面の「さあはじまるぞ!」というインパクトが無くなったことが、後々のロープレの「クリアしても虚しい」という感想の原因で、実はくだらないゲームで作業を繰り返しているだけに思えても音楽が良ければそれなりに良い体験としての後味が記憶にしっかり残る。

 ただまあ、日本の住宅事情から近所に音が響かないように無音で遊ぶとかケータイ機をヘッドホンなしで無音で遊ぶとか、さらには無音でも面白いゲームが出来たとき値段は同じなので音楽の良いのを付けずに安売りしないメーカー戦略もあると思っていて、ユーザーがケチでメモリをたくさん使って長く遊べるゲームを求めた結果、本当に価値があるコンテンツである音楽家界隈から愛想を尽かされただけなんじゃって思う。

 その点で過去作品においては音楽安売り傾向で、オープニングや面スタートの曲がめちゃめちゃいい作品もあって、ゲームとしては飽きちゃって手放したけど耳に残った音楽をもういちど聴きたいと思うことはある。されど、手放した時より高価に転売されていたとして、確かに聴きたいけどピアノでちょろっと弾いてみて、それで我慢する。満足というわけでも無いけど買うほどでも無いというか、音楽も良いけどガトーレーズンやのりしおポテトチップスを5袋のほうが高価かなとは思うようになった。ケチが音楽家から愛想を尽かされてもスーパーは色々なものを売ってくれる。無くなったら餓死とまではいわないものの超不便だ。

 俺はカセットが欲しくなる正体はそのカートリッジに貼られたシールや外箱の絵であって、おもちゃの中身であるROMはパソコンファイルで持っていても、何故かカートリッジが欲しくなる。合法的という線引きかカセットの箱かと思っていたら、その根源的な正体が音楽で、それはファミコンでもレコードでも媒体は私物化できても音楽をモノにして独占することは出来ないわけで、それがiPodの企画そのものだったわけで。

 その意味ではiPodとかMacBookProも良い買い物だったけど、自分の求めるものとしてはパソコン買って最初にヤフオクで落札したカシオのシンセサイザが楽器を色々試した後でもパソコン机の横に普段使いで置いていて「ちょろっと弾ける」つまり聴き取ってピアノの音階に戻せる、この音感ってやつを磨くことで随分と解消されたと思う。


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