「裾野が広がる」って山型に考えがちだけど

 今日は朝から3回カプエス2をした。A豪鬼ベガブラ、Aガイル庵ベガ、Aテリーガイル豪鬼。統計的に結果が出ているのはベガブラ。ベガブラの強いところを洗い出せたと思う。オリコンの意味ではなくノーゲージの戦い方の意味で。それがリュウケンガイル中心の弾ジャンケンとは違う角度からなので、そこを踏まえてあらためて持ちキャラや未使用というか未やりこみキャラをやってみると新鮮だった。特にテリーガイル豪鬼は練習を重ねたA豪鬼をレシオ2で大将に控えた安心感から伸び伸びと実験的な動きも出来て、盤石で大将登場せずゴッドルガールを倒せて、好きなキャラでAグルーヴで遊べるようになって勝てたなぁと。贅沢だ。

 ところで、過去にはストIIXがずっと遊ばれていて、カプエス2もそうなれば的な事を書いたのだが、流行ってほしいとか裾野が広がってほしいというのは山が高くあるためには支える土台が大きくなくてはならないというピラミッド型の構造しか想像できないからだと思う。

 まあ、実際に富士山は東京タワーやスカイツリーより高いし、エベレストはもっと高いわけだが、日本一って何だって考え出した。全国一位を狙うときにマイナ競技のほうが取りやすいっていう弱気な概念から、それで勝てるならやっぱメジャー種目で競って欲しいみたいな気持ちな。

 山型が山足り得る最大値は国民総参加なので、俺は国民的といわれる人気商品をもっとプロモーションすれば自然にもっと高い山が出来ると想像していた。数が増えると自然に低いところから高いところまで山になると考えたからだ。

 しかし、国民的人気テレビゲームよりも受験とか野球とかは参加総数が多そうで、そこでは偏差値の正規分布の考え方がある。偏差値という取り方をするから正規分布になるという入れ子の関係でもあるのだが、成績は偏差値50の中腹が最も多く、上に行くにつれ下に行くにつれ少なくなるという統計の基本だ(正規分布でないケースもある)

 そうすると、とりあえずどんな競技であれ、もちろん題材のテレビゲームでも、上だけ釣れば裾野の広さという関係ではなく、やっている事のレベルは高いのではないかと。もちろん、裾野が狭い分だけ山は低そうに見えるかもだが、メジャースポーツとて競技人口の増減には敏感で、スポーツ同士で若い選手の引っ張り合いをするもので。

 まあ、裾野というのはなぜ広げたいかというと山高のためではなく、競技レベルの上下でもなく観戦チケットの多寡によって、人気があって見る人多いと儲かるみたいな考えがあるので、マイナスポーツでも観戦して面白ければ裾野は広がるだろう。

 そうしたら、映像作家的に「観て面白く撮れるか」が全てで、その目で見ると自分のやっている事ってまあつまらんと言われる事情も見えてくるわけで。

 そこで反対に、そんなつまらんものに「何故ハマったか」というと読書少年で雑誌ゲーメストが購読者の俺が面白いように書かれていた。週刊少年ジャンプのマンガ展開が読者アンケートで読者をひきつけるように話が変わっていくのと同じように、月イチのゲーム雑誌がゲーセンでのキャラ人気とかで読者参加作品のようにどんどん読んでる人が面白い方向に引っ張られたんだと思う。

 そうすると、俺が本当に争っているのって競技人口とか競技レベルじゃなくて、読者じゃないかって書いていて考えが改まりそうになってる。俺は将棋にもそこまでハマらなかったが、文春の将棋記事などは涙を流して読むこともある。反対に執筆陣に掴まれているのかもしれない。

 本論からズレたので元に戻すと、メジャースポーツですらそうなのだから、どんな競技であれ競技レベルは裾野を広げようとしても正規分布の玉ねぎを引っ張り出すように、膨れたところを捕まえたら、あとは引っこ抜くように興味のない層があることくらいは知っているとなるだけじゃないかと思うんだ。

 中でもいちばんひどかったのはドラクエのさらなるメジャー化で、推していたはずのドラクエがメジャー化して嫌いになり、ネットゲーになったドラクエXで同じ世界でつながっていたはずの仲間とはぐれたこと。もっと相手が出来たら「君いらない」された。少ないから、それを傷に思えた仲間とマイナ趣味である傷をなめ合っていただけで、メジャー化すると学校で普通に友達出来る出来ないの人間関係とあまり変わらず。

 その意味で、かつての仲間じゃなくともゲームが人気だと遊び相手に困るわけでも無いんだけど、なんか玉ねぎ引っこ抜いて寂しくなっちゃったんじゃないかなと。

 そう考えると、カプエス2でも観戦者が自分で操作できるレベルには感情移入できてもオリコンはその操作に感情移入できないで「強グル」扱いされたんだろうなって、出来るようになると分かってくる。これはストZERO3とかストⅢサードでも、一緒に観戦していて「上手い」というポイントが弾の打ち方や足払いの差し方ではなく、コンボになってるあたりから一緒に遊んでいる人の中でズレがあって、それが派閥になって、それをメジャーに当てはめて考えてみると、裾野が広いとされているものでも住みわけがあって、それぞれに団体と後援者があって、頑張る人を皆で応援している。

 そうすると、自分も玉ねぎってかニンニクくらいだけど、頑張れされてるプレイヤーではあったのかもなと振り返るわけです。吊り上げられたら根っこはどこに。そのへんがゲーセンから家庭用中心になってひとたびゲーセンゲーマーとの交流は疎になったけど、今はゲームが違えどネトゲではない家ゲーマーのコミュに属していて、対コンピュータという意味でゲームAI関連との接触もあるわけで。まだ接触で交流とまでは、とはちょっと思ってます。山型、正規分布、玉ねぎと来てその根っこと来ると、根はニューラルネットに近づいた考え方なのかもなって事で本稿を締めくくろうと思います。


🄫1999-2023 id:karmen