鉄拳5のモチベ「強いヤツと対戦して得た感動」

 俺は鉄拳5の強いヤツとはあんまりやったことが無いのですが(いきなり)

 昼飯の「わかめラーメン」に先日スーパーで買った味玉2個入りを2個とも入れて、味玉の割に薄味に感じてラーメン用の味たまってパンチの効いた半熟卵のイメージだったけどおでんのタマゴで黄身まで染みて無い感じだったのが残念。腹は膨れた。

 鉄拳5なんでまたやってんだろうと思うのよね。鉄拳王は取ったものの、PS2のメモリーカードに入っているだけなので、誰に自慢するでもなく過ぎ去って旧友に電話で「鉄拳王取ったで」「絶対ウソや(決まり文句)」があったのちに「セーブしてやりなおしたやろう」「してない」「ウソや」「じゃあウチに来い」「いやや」「じゃあウソやって言うな」「いらん」てか「そんなんで満足なんやったらお前も欲しいんやったらイージーにして取るとか」「イージーで取ったんやろ」「違う」みたいな話で、俺はデータで満足って小学生だと思っていて、そういうタイプはアクションリプレイとかのデータ改造でコンピュータが証拠になるならコンピュータのメモリを操作して偽証すればいい、みたいな価値観として発達段階に通る道だとは思っている。

 それは恐らく将棋会館の段位認定でも証書で良ければ賞状用紙か奉書かなんか知らんけど、うち文具屋なのでときどき宮司さんが紙買いに来るし、おじいちゃんが自分で証書作って蔵にしまっておいて孫が見つけたら孫くらいはだませるのかもしれない。

 だけど、それにやがて子供が気付くことってあると思うんだ。そのままのこともあるかもだが、将棋にもし興味を持ったら棋士年間みたいなものを調べるかもしれない。

 対して、ゲーセンの格闘ゲームはそういう会館があるではなく、東京のゲーセンとかで毎週末にゲーセンの隅にお客さんを集めて店員がマイク持って「やりますよー」といったら4人くらいから16人くらい集まって、トーナメントして写真撮ったりする。

 それは公式記録ではなく店舗記録で過ぎれば抹消されるだろうし、その一部が雑誌で取り上げられることはあっても全部追っているわけではないから、雑誌に載っていないというのは反証にされても奨励会館の公式記録とはわけが違うしなあ、と思う。

 そうすると、ゲーセンの当事者としては知っていても家族や近所の人に噂が届くほど何かがあったわけではない。それでも続ける動機として、ゲーセンでだけど自分が十分に練習して考えて地方で勝って自信を付けて、その上で対戦した東京のトッププレイヤーの腕前に感動したからってのはあると思うんだよな。

 最初に書いたように、鉄拳ではなくカプコン系なんだけどさ。

 物理学って言っても高校物理の範囲で、電磁気学もかじって、専門学校でコンピュータも学んで、それで相手がコンピュータなら後出しの超反応は物理的に当たり前だと思っている。それでも計算機の歴史を考えると、ワットとかエジソンとかの電気機器の発明からフォンノイマンのコンピュータが日本に伝わってアメリカの会社の下請けとして大量に生産されて技術者も育成され、この国では子供から当たり前だと思っているコンピュータの超反応超計算もすごいことと言えばすごいことだけど、ゲームウォッチくらいから当たり前にピコピコしてきて、その上で対戦形式で自分もコントローラでコンピュータを操り、相手もコントローラでコンピュータを操る対戦ゲームで自分の想像を超えたところのプレイに感動したのはフェアというか同じ条件で自分が到達したところから共感というか感情移入できるところがあって、想像は超えていたけどその想像のプロセスとして「このゲームでこれが出来るのはすごい」って理解があったからで。

 人は理解できる物事の範囲の中で理解を少し超えたものに感動するのかもしれない。

 それなら、最近ではギターを趣味にしているけど、俺はエレキギターでアコースティックとは弦の柔らかさとか音の鳴りとかちょっと違う所もあるみたいだけど、アコギの上手い演奏とか見て、自分がやる前よりもシンプルなもので「おーすげー」ってなる。

 そして自分の腕前にも最近では自信を持てる部分も出てきたから、ただそねむのではなく「俺も頑張ろう」と思える。そういう風にモチベを作って、日々の練習に身が入っている状態が心地よい。

 だから鉄拳も鉄拳王って言う称号を人に見せたらそれで充分ってのではなく、だからしてリセットでも設定でも何しても鉄拳王なら良いってわけではなく、かといって昔みたいに称号も何もない鉄拳をまたやるかというと、その時代には戻れず、称号とか勝率とかお金に代わるデータというか何らかを賭けた本気の勝負ならモチベが保てて、その先にまたスーパープレイの応酬のアツいゲームがあるのではないかと期待するから。

 そういう感動は、同じように鉄拳5(最新作は8とか7だが)で研鑽して競ったから得られるものであって、共感して上ですごいと認めてほしいって思ってる。

 その実際として、鉄拳王の吉光は捨てて今ブライアンで修羅まで上がって、2日やりこんで羅刹には上がらずに苦しんでいて、でもそれって2日ではなくバーチャファイター2も関係あるとすると30年近くやったり離れたり考えたり勉強したり遊んだりガチったりで続けてきたものが出てると思うので、それをデータだけのインチキみたいに思われるのが嫌だから、捨ててまた見せてやろうと思っている。

 ただ45歳まで来ると衰えもあるので、将棋の名人が若手に世代交代してゆくように、自分にも称号を譲る節目は来ているのだろうなと大袈裟に思うわけだが、脂のいちばん乗っていた鉄拳王を取った瞬間を人知れずしめやかに通り過ぎ、あとあとで誰かが気付いて懐疑心でそれを見るというのは何とも辛いものがあるわけだが。

 ただどうしても「高橋名人の16連射は指にばねを仕込んでいる」とかスポーツ新聞で報じられたことがあるように、すごいものへ感動できる素直な向上心ではなく高いプライドで他のものに嫉妬を覚え醜聞に溜飲を下すというような人も普通に大勢いるわけで、それは友達選びを間違ったってほど大層な事でも無く、誰に自慢するかを間違ったくらいのことなのかな、と書いていて改心しました。

 不快になった方がおられたr、ごめんなさい。鉄拳の挑戦は受け付けますがゲーセンでカネ入れてってのは額にもよります。持ってきてくれて負けてくれるならいくらでも。


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