俺は何の人だと思われているんだろう

 文理の別として、俺は親父の強制で理系選択をしたと思っている。

 だが、理系的に考えると教員に選択を伝えるとき本人である俺と母親が同行したので、俺と母親が文理の選択をした体になっていた。

 逆らえなかったのだ。親父は暴力をふるう。それを家族は恐れていた。唯一、愛娘である姉は親父からものすごい小遣いをもらい、家でもめ事があったら父に相談できた。

 実は俺も、親父の代の前の祖父母の代に祖父母にとても可愛がられていた。

 相続に関して相続税が高いので代を継ぐと財力が失われるので、祖父は孫に遺言状を残し財産を一代飛ばしで相続することを考えていた。遺言書があったと思われる。

 しかし、祖父の葬式の後に俺はひとり家に帰され「受験生だから」と訳の分からない理由だったが別室に閉じ込められて両親と親戚一同で相続がどう決まったのか具体的には俺は知らない。

 親父の代になって、俺は小遣いがもらえないのでバイトをして、専門学校に行き、そして就職して親をいちど捨てるように大阪のマンションに移り住んだ。

 その間に母親が行方をくらまし、姉は結婚した。姉の結婚相手はレンタルビデオのアルバイトで知り合ったと聞く。

 大阪で仕事が無くなり病気をして何とか命からがら帰ってきた家は荒れに荒れていた。高校生になった弟が年老いた親父に暴力を振るうようになり、アニメのビデオやDVDが大量に書棚に並べられ、床にもビデオテープやゲームカセットが乱雑に散らかっていた。

 俺は弟を部屋に押し込め、親父は店の仕事を続け、車庫と庭を賃貸アパートにする契約書に親父の連帯保証人となる形で家賃から3人の生活費と弟の学費を出して引きこもるように暮らし、たまに契約社員の仕事というと分かりやすいが、手続き的には有限会社フリーライフの正社員として社長と結託して、半年働いてクビにしてもらい雇用保険を役所からもらって、また雇ってもらって働くということをしていた。

 やがて、社長を裏切るとまではいわないが、契約書面とかが無いズブズブの口約束で会社の下請けの仕事をしていたので、高畑町の法務局に通ってゆすれば会社からいくらでも、というか月にして幾らかは決まっているのだが、期間的にいくらでもお金を取れるということを知る。

 しかし、就職氷河期の俺の世代で最初に仕事をくれた社長さんの生活が苦しくなっても搾り取るのは良心の呵責があり、社労士さんのアドバイスで国から取ることにした。

 年金生活の始まりである。そこから今で5年目になる。

 それで、親父の家賃事業も弟が上京して、学費と生活費だったぶんが浮いているので、その分は親父の外飲み代となり、俺の暮らしもスーパーの弁当暮らしから幾らか良いものが食えるようになっている。

 そうなると、どうしてあの時に親父に逆らえず文系選択が出来なかったか、と振り返って思い始めたわけだが、あの頃は本当に親父の暴力に対する恐怖は支配的であった。

 物証としては何も残っていないし、俺も生理的に変化した。体も大きくなって弟がそうしたように殴ったら勝てたかもしれない。

 弟が出て行ったのも、弟が幼い頃に8歳上の俺が思いっきり殴って、弟が俺の言う事はある程度聞くからだ。帰ってから弟は俺も殴ったが、マンガで読んだのだろう、こめかみが急所で殴ると死ぬというような風説があるが、顎の付け根の骨がパリッと割れる音がして、咀嚼すると耳の内側でじゃりじゃりと割れた骨の音がするようになった。(後からの話だが病院でも治らない)殴られた時に「なんだ、こういうことだったのか」と思った俺は自分の身のために弟を巴投げでストーブというかハロゲンヒーターに突っ込み、せっかんで机の角にぶつける手前で寸止めしてやると、弟は自室にこもってそれに弁当を差し入れる以外には俺と親父が寝静まった後に今でテレビかビデオを見て過ごすようになった。

 「モノを書きたい」と思ったら、文系というのは一般論だと思う。そして嫌々ながらにこなした理系の勉強は、役に立ったと言いたいところだが、実際のところは分からない。会社員をしている間のプログラミングやソフトウェアの勉強は独学の面が強く、電気回路であった頃のコンピュータは電気技師の範疇だが、そうではなく出来上がったコンピュータでソフトを取り扱うというのは文理で分けた後に現在では理系に情報系があるが、俺の時代は専門学校という特殊な環境で学んだし、かといって社長や先輩はソフト以前からの技師出身で、そうなると普通科高校以前に工業選択をした高専生のテリトリーでもあったのだ。工業高校でも良い。

 だから、読んだ本としては専門書や技術書が圧倒的な多数を占める。

 俺は会社員でありながら社会という見えない魔物と戦おうとしていた。毎日が嫌だったのかもしれない。それが今では社会保障の恩恵を受けて暮らしている。

 そうすると、若い人や肉体労働をしている人から「働かないでお金が儲かるなんて」というバッシングは当然ある。だが、社会というのは新しく理想的な人間関係の在り方という幻想に包まれた新しい搾取の形であるのだろう。

 文系に進んだ同級生はアルバイトも多いショッピングモールの飲食店やブティックで、大卒の名札をもらって1割ほど高い給料で他の従業員より偉いらしい。

 理系選択は医師や薬剤師に車の設計をしているものもいる。情報系が新設されてからはそこに金融や不動産管理などが何故か進路となっているようだ。

 特に仲の良かったY君は薬剤師で、ソフトというと得体のしれないものだがファミコンカセットなら物証として分かるようで、即物的で形ある「モノ」しか実在的に認められないというような立場を取り続けている。

 中学からの俺は学校に持って行っていないものでも「家にファミコンがあって」と家にはあるがそこにはないものの話で盛り上がっていた。Y君は話を合わせていた。家に遊びに来て「スゲーなお前んち」と言って母親が晩御飯にカレーを一緒に皿に入れてくれてY君はニンジンを残した。「ニンジン食べへんの?」「俺嫌いやねん」「お前んち残してもいいんやな」

 卒業してからY君とのやりとりは電話が主になった。実はY君が物証しか認めないと言っている俺も、彼が本当に薬剤師になって立派に勤務しているかは分からないと思っている。

 それは相手にとっても同じこと。文理の別としてしまうのは強引だったかもしれないが、理科と人文というのは結局のとこと人間の性根で唯物論と唯心論、モノが無いと信じられない即物的な人間と文を交わすだけで心が通じ合っていると安心できる人間に分けられるのではないかと俺は考えている。

 やっぱ、文系の大学に行きたかったのだろうなと今も思う。思うだけで良く、どんなにモノを目に見せても心に届かない人がいるように思える。「相手がまだそう思っていない」ということを俺が思うと俺は不安になるのだ。

 だがそれは論理学的にはネストであり入れ子であり循環論法でありそれ以上繰り返すとトートロジーになる。モノで攻めても変わらない心の問題なのだ。

 こんなブログでも、書いていると「もっともっと」と自分で哲学的にどこまでも考えてしまうので、そうしている間は俺本人はよその現実について考えないだけ安心だ。

 もうこれ以上の言葉には意味はないかもしれないな、とふと思ったのだが、そう思ってからもタイピングはどんどん進む。今日はここまでとする。


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