今日の鉄拳5(ブライアン対フェンで4LPが活躍)

 「鉄拳5には使えない技が多い」と以前の記事に書いてしまいましたが。

 まあ、上段、中段、下段とも今までの俺理論では最速技以外は無意味だとしてきたんですよね。コンピュータを相手にやっているというのもあると思います。

 その点、コンピュータと人間で何が違うかってと、バルセロナ五輪でのベンジョンソンのフライングをめぐっての反射神経の個人差を認めない審判。

 「合図から0.12秒以内の走り出しはフライングとする」というもの。

 まあ、PS2の鉄拳でも秒間60フレームとして1フレ0.02秒未満で厳密に0.166としても見切りの限界は7~8フレームだとする立場をずっと取ってきました。

 この問題自体もベンジョンソンの反射神経にまつわる猛特訓を人種差別で審判が認めなかったという見方からの異論はあると思います。そしてスーファミ星のカービィのおまけゲーム「刹那の見斬り」で反射神経ゲームをすると、0フレームで相子が出たということは我が家の記録にあるのですが、まあそれでも遅い人だと12フレームで速い人で7フレーム、たまに6がでる、ごくまれに速いものが出るので、その取扱いを成功と取るかフライングで押してしまったところに合図が来たと取るか。割れるところ。

 それでまあ、何でもコンピュータのように1フレームで見切れるものでも無いとすると、ワンツーで上段最速を取るタイミングを相手の出方をうかがって、フレームバーチャでも最速をつなぐとこちら打撃相手ガード相手打撃こちらガードが延々とループするので、そのままタイムオーバーにしてしまうような試合は滅多になく、こちら打撃の有利なタイミングでわざと出さず「あれ?」となって相手ボタン押しを狙う「ディレイ」という考え方があるんですよね。

 鉄拳でもフレームが分かってきて、相子模様になってくると、段々と良く使う技で無い技も絡めて計算を複雑化させて互いに試し合うということがあるみたいです。

 まあ、遅い技を打つか、ちょっとだけ待ってジャブを打つかは好みの分かれるところで、コンピュータの鉄拳王のフェンが遅い技に必ずジャブしてくるんですが、そこにジャブ立ちガードの距離で少しスウェーして浮かせるブライアンの4LPが刺さって連敗が止まりました。固有技同士の判定で、下段を避けるジャンプキック系とか、キャラ毎の嚙み合わせによって意外な技が最大ダメージの1点読みになることもあるようで。

 そのことと、敢えて遅い技を打つというのは別の話ですが、両方絡めると技増えます。

 それで段位としては昨日と変わらず風神で勝ったり負けたり。鉄拳王までもう少しのようで、バーチャファイターに強くなるのに20年かかってその応用で近いところまで来ているとはいえ、技の全然違う鉄拳5なのでなんでやっているかというと出発点はバーチャ対鉄拳の痴話喧嘩からで、サターン対プレステ論争を25年以上やっている。そういうことだと思うんです。

 俺サターンもPS2も持ってるしー、というと「今時PS5かXBOXでしょ!」てかXBOX360も持ってる!それでも鉄拳5するのはゲーム機も良いけどケンカの相手がいるのが面白く、そのケンカの決着にゲームソフトを使うというねじれ具合。

 自分しか持っていないおもちゃを自慢するより相手の持っているのと同じモノを持って、それで同じもので自分が勝ちだ!と言いたいのは、子供の頃にカセットをいっぱい持っていて「いっぱい持つよりひとつを一生懸命やったほうがいいんだ!」という貧乏人の論理で攻められて、でもそれって今思うとカセットは中学受験を頑張ってきた子供に対する親の褒美であって、カセットいっぱい持ってても勉強してたからファミコンで負けたのであって、いま45歳で暇していると昔のカセットでも勝てるけどすぐ飽きて。

 その意味で、高校出てからバイト対大学生になって、2年バイトしてから専門学校行って専門対大学になって、就職してから派遣対正社員になって、いいかげん対立軸がおかしすぎるからアイツが高校の時に買ってもらった鉄拳で俺も勝負してやろうってなったんだという解釈です。

 結局は比較のしようのない別の境遇の人生を送っている人間同士が何かで勝った負けたで優越感を感じられないと安心できないみたいな心の弱さが根っこにあるわけです。

 それも、負けても辛抱できる方が心が強いみたいに心の強さ弱さという勝ち負けに転化した問題解決だから。そう思うと、また鉄拳チョット休んで数学の勉強再開出来る。

 数学なんて何の役にも立たないって言われたから、数学を役に立てようとして結局はそれが俺の考え方の根幹になっているというか、身に染みてから改めて数学書を読むと暗号解読出来るばかりではなく、意図的に参考書のグラフの切り取り方が正しい数的な捉え方よりも誤解を招くような切り取り方をしている部分に気付いたりして。

 そうすると数学でも数から数直線に図形立体時間でせいぜい物理的に四次元。五次元以上は想像上のものでしかなく、何なら人によっては三次元まで二次元までしか分からない。想像同士では互いに客観的に理解を確かめることは出来ないので、数式同士を見せ合う他はなく。

 奈良学園高校の看板を背負っているのが重荷だったのは奈良学園の優等生が東大京大に進学することから虎の威を借りて奈良学園だったら偉いと思われても自分自身は高校では平均以下で、それで大学と言っても底辺私学では良い就職が無いと紋切型にどこか考えていて、しかし就職してみるとコンピュータという若い分野で案外と高給で雇ってもらい今度は学歴とか学力ではなく年収とかでマウント仕返そうとすんだけど、いい加減3次元でも4次元でも分かるならそう考えて行動すべきで、忙しい高給取りって結局は貧乏暇なしと同じことで、高い給料で高い商品買って高さで自尊心を高めてまた働くってのは馬鹿で、数学やるなら物理とまではいわないまでも量り売りを基準にお金も上手に使うべき。

 その意味で、暇つぶしに鉄拳5をまた出してきて遊んでいるわけで、鉄拳5にアツくなりすぎるのはアツくなれている、なれるものをまた見つけたという意味ではめっけもんなんだけど、ハマりすぎるのもどうかなぁ、いっそまたハマっちゃおうか、などと。

 ワークライフバランスってのもワークとライフを天秤にかけるから分からないのであって、ワークとライフの比率同士を天秤にかけるという複雑な考え方なんだよね。

 まあ、そんくらい高卒程度の数学力があれば分かるはずなんです。数的思考力とは本来めっちゃ役に立つもんなんだけど、それを実例的に教えてもらえず純粋数学として学校で教わっているから、自分で数的に考えて応用が利くところまでやるのが重要。

 ただ、得意を自負してるプログラミングでも負けてるなって思う相手はいて、鉄拳も風神くらいでもうええんちゃうのと思ってしまうことも出来る。数学をもっとやることが鉄拳もっと強くなるかといえば、それより最近は習うより慣れろで鉄拳のキャラ毎の固有技をゲームから体験で覚えるか攻略本でデータ化されたものを読み取るか、とかく鉄拳それ自体にもっと詳しくならないと上がれないってのはコンピュータ将棋をやってる時の数式は分かったけどそれ以上は将棋に強くならないと分からないかもしれないって不安と一緒で、それでも将棋なんてほとんど差したことが無かった俺がコンピュータ将棋組んでみて4級まで100戦ほどで上がれたの、自分で指すとしては研究量が足りないなって思ったけどコンピュータ将棋のプログラマとしては将棋よりアルゴリズムの面で改良する方が筋がよさそうで、その意味では鉄拳も習うより慣れろとか自分で言っちゃうと数学が役に立つってのを自分で否定することになるから、練習するよりもうちょっと理屈を詰めてから挑戦しなおそうと思ってます。


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