いつしか哲学から抜け出している

 「三人寄れば文殊の知恵」というのに昔からバカ三人と賢者ひとりどっちが賢いのかみたいなことをずっとグルグル考えてたんだけど、文殊が釈迦の弟子で昔の人なのでやはり三人かかってもその程度。それに賢い人が三人かバカが三人か賢いとは何かバカとは何か、まったく考えるほどにピントの合わない格言なのである。

 そういう風に哲学的な問いにも、俺は答えがあると思っている節がある。我思うゆえに我ありで仏教の無はデカルトによって有が証明されたと最近まで思っていたのだが「では思わなければどうだ!」というと、それが無我の境地なのだろう。

 そんなことを考えながらも、ふいに鉄拳5のブライアンのチョッピングエルボーについてラウの444Pでバックダッシュしながらスカシ待ちで浮かすのと同じ感じで使えるよなと思いながらも、これを攻略としてまとめるのに「スカシ待ち」とはいかなるものか「足払い戦」が弾ジャンケンほど数理的に説明できないように、あるにはあると思うが何を考えてどういう駆け引きをしているのかと言われると結構に説明困難である。

 それは、バーチャファイターや鉄拳の攻略にフレームやダメージは数値化されていても視覚で最もわかりやすいリーチがカメラ角度で見え方が変わって測りづらいのもあると思う。ストII系横から見たゲームは画面サイズが同じならリーチは画面でみたまま一定であるから。それに、当たり判定も四角い箱で、ダウンからの起き上がりもストII系はアニメは「よっこらせ」となめらかだが「ダウン中で寝ていて何も当たらない」と「起き上がって攻撃が当たるようになる」は0・1の「当たる・当たらない」で判定されており、そこに起き攻めとか重ねとかリバーサルと言った切り替えのタイミングを一点狙った駆け引きがあって、それが界隈では当たり前だと思われている。

 しかしKOF96でダウン中のクラークに紅丸の小足コレダーが当たるバグとか、確かストII初代のバルログ敵キャラ限定でもダウンコンボが見つかったとか。

 それはバーチャファイターではダウン追い打ちやバウンドコンボで鉄拳はダウン中にも判定があったりするわけで、同じルールで語れるところと違う所があるわけで。

 それでスカシ待ちは結局のところ、フレームの有利不利とそれに応じて出す技をバクステでかわして、触ると反撃の無い技でも空振りするとチョッピングエルボーがカウンターでヒットするというような間合いの作り方で、チョッピングエルボーをそれに使うのもスカシ待ちに適した技でありながらも(大ダメージだから)ガードされて有利だからとりあえず打ったのか、スカりを見てから反撃として打ったのか、両者を使い分けるのかセットプレーとして打ちそうなところで下がってぶっぱなすというプレイなら反応ではなく初心者でも真似れる「型」となるわけで、そこはやってみてから見切れている上での判断かどうかってところが客観視しにくいところが対戦での読み合いを有利にする。ぶっぱなしだと思う相手はまたそうなったらぶっ放すだろうと待つわけで。

 だが、鉄拳5ばかり考えていて良いかと言うと今年のスケジュール帳にはまだ年度計画表を書いていないし、ギターの稽古は3日ほどサボったし、高校の時苦手だった化学を復習するも、俺が高校の時に高校で習えたのは今でいう無機化学だが今の高校生は有機化学まで高校で習うらしく、ちょうど大学の履修範囲まで勉強できるから良いだろうと思うものの、質問とかは出来ず本での独習なので有機化学部分がなかなか入らない。

 ネットにこうしてブログをアップしているのは格闘ゲームに関して天才的ではなく努力の人アピールをしたかったからであるが、露見している努力量がもっと多い人がいるなかで、何で差が付いているかと言うと数学ってか小学校の時の中学受験の算数ではないかと最近では思っていて、ファミコンを我慢して毎晩23時まで母親がおにぎり作って勉強させてくれたおかげで、その割に中高をかなりサボったてか人並みにはやったけど進学校で周りにもっと勉強するやつがたくさんいたのもあって。

 そこまで考えると散漫にゲームをしているのが同じことの繰り返しに思えて、哲学的とか数学的に考えた分だけ実際にゲームを繰り返して試すより早いのが、最近の鉄拳5はフレーム本を敢えて買わないでPS2でやっていることとどれくらいの効率差があるか、まあ人間の仕事なので機械効率ではなく能率と言うべきかもだが、体感で覚えるのとフレーム本読んで「10フレ」とか「70ダメージ」と考えるのとでは圧倒的な差があるのだが、それは人間の資質による差ではなく体験と論理記憶の差であって、情報の質の差でしか無いわけで、そうするとフレーム本こそ見ていないがネットで攻略記事を読んで一部の技のフレームを知り、それで雷神まで上がったわけで、ネブラスカでの優勝も日本で弱い人がアメリカでまぐれを打ったってわけではなく、繰り返して同じメンツで対戦を繰り返したことでクセ読みされたりキャラ差を合わせられたりする日本のトーナメントから北米の様々な選手のいる環境で頭の柔らかいほうが自然に勝ったんだという自信も今更にわいてきた。

 ただ、振り返ると自身の読書で最も多いのがコンピュータの技術書、次いでゲームの攻略本類、マンガと森博嗣をはじめとするミステリィが同程度(雑誌入れるとマンガが多い)それに雑多な新書類に音楽美術があって、世界史や化学は高校の授業に上乗せ分が2~3冊なわけで、そりゃ自然科学の勉強ばかりしている人と比べたらオタクの部類にしか入らないわけで。

 それでも最近は哲学的なグルグルから論理で持って抜け道を見つけるのが速くなってきているとは思ってる。同じような事グルグル考える哲学の上に自分なりの論拠を持って建設的に数的に論理的にと考えていくから物事が進むのであって「考える力を養う教育」とか言われたから勉強しないで自分で考えてやった!みたいのは疎通性がないわけで。

 その意味でオタク趣味でもマジョリティによって共通認識を持って、通じる話がしたいと思ってマニアックなのではなくやさしいゲームの話を続けているつもりです。

 玉石混交の感はあれ、3000記事以上。読み応え的にはオールアバウトに匹敵するかと思いきや、データの部分が少なく文脈で語っている部分の方が多いので、今後はもうちょっと方針を変えて書き進めた方が良いのかなとは思ってます。

 せいぜい頑張ります。


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