アーマードコア・ネクサス26位まで浮上

 今日は3・11ということで福島のNHK特番を見ていました。船を守りに行って家族を失ったお爺さんと、周りの人に助けられ無事に成人してから過ぎ去った日になくした人のことを振り返る若者。船も大事で仕事も大事だけど命も大事。命あっての人間だけど、属人性というか人となりはその人固有のものであって、命が大事だからって他の命とつまり人と人を比べてどっちが大事ってのは業績とか稼ぎとか親戚の多さとか友達の多さとか、そういう客観指標で比べるとまあ生命保険額って金額に換算されちゃって、そうすると人ひとりより船舶1隻のほうが金額的に高いしそれが作り上げられるまでに文化や工業に交通など様々の進化と人の仕事があって、それも人の技なわけで命の方が大事と言われると入れ子になっている論理だと思うんですよね。

 そんなことを考えて、石巻市が会社だったらどれくらい震災で損してその後儲かりだしているのかとか、お金のことを考えてみて、週末で止まっている株のチャートを見て、ゲーム投資から半導体投資に切り替えたのは産業の重要性でより強いほうを取ったつもりだけど、産業構造の売り上げの順序から考えると今はゲーム関係がまた伸びていて。半導体メモリより情報通信つまり電話代でゲームが買われる時代でメモリそのものを作って売るのはひとり1台買ってるけどゲームにポコポコ使われる方が売り上げ的に大きくなったのだなぁ、と思ったところで分析はおしまい。

 それで1993のストIIターボまで歴史を巻き戻して1994年の餓狼スペシャルまで進めたところで一気に10年飛んで2004年のヒットゲームを見てみたら、そこに自分が持っているアーマードコア・ネクサスが入っていて、さらに震災の前年2010年を見てみるとコレ並んで買ったわと思うモンスターハンターポータブルサードがかなり上位で、スイッチのゼルダが多少モンハン味を帯びていて、それでライズも売れたしモンハンワールドもヒットしたことを鑑みると震災前からのヒットチャートはそのまま12年をけん引してきたのだなぁと思った次第。

 しかしモンハンクロスを久しぶりに遊ぼうとしてネットに繋がらず色々調べたら家庭内の機器が増えて電波が近いところしか通信要件を満たさなくなりルータを置いている階段のそばで寒い思いで遊ぶか寝たままひとり用をするかの二択を拒否してPS2からスティックを抜いてパッドを差してアーマードコア・ネクサスを起動。

 久しぶりの1発目でいきなりアリーナに勝利して26位まで順位アップ。

 それ以外に今までも詰まって放っていたゲームを久しぶりに遊んだらいきなりすいすい進みだすという経験は何度かしてきた。同じゲームに繰り返し挑むのも努力で、その姿を人に見せることで頑張ってますアピール出来るのも分かるけど、俺の場合前作とか系譜を読み解いてそれ以前のゲームから考え方を洗いなおすことで進化してきた。

 アーマードコアは持っている中でネクサスがいちばん古いやつだけど(新しいのは「Ⅴ」)ガンダム連ジとかもやったし、何よりストIIターボと餓狼スペシャルをしてから遊んで実験するのではなくストIIの「読み」がコンピュータの「後出し」で再現されていて、では全部読まれて勝てないゲームかと言うと抽選で後出しをするか負けてやるかを決めて行動するオートマトンになっているのだろう、と読むことで、アーマードコアのコンピュータも完璧に作られるその完璧がレーダーではなく自機位置メモリ直読みとかだと絶対にとは言わないがほとんど勝てないはずで、擬人化してカメラやレーダーから「読み」で動いているとすると動きを読みづらく攪乱するという戦法がコンピュータにも通じるかも、と思うと被弾が減っていきなり勝てたという寸法。天才だね!

 まあ、3・11の日に戦争ゲームをして遊ぶのはどうよ?とは思うけど、今日はここまで。命の重さの話も投げっぱなしで答えは船舶1隻より生命保険額が安い人もいる。けど、俺は6万円のPS5新型ではなく中古で1850円で買った餓狼伝説スペシャルで2023年の3月10日を1時間ほど過ごしました。それは俺にとって大事な体験。

 その後2004年発売のアーマードコア・ネクサスを2023年に遊び直して、今年は買うとしたら何にしようとカタログを見て悩むより部屋にあるゲームで遊んでる。それは時系列的に過去に作られて過去に買ったものがほとんどってか、未来に買ったものなどひとつも無いのだが、ある時点において過去の遺物となったものを復古しようと買ったものも含まれてはいる。まあ、その辺のことは今は小難しくは考えないでおく。


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