平穏な1日でした

 一昨日は遊戯王DSで夜更かしして、昨日は偏頭痛で寝込む。ゲームに強くなりたいというのは子供のころからの願いで、実際そこそこ強かったけど勝ったことのアピールが弱く、勝ったら他のゲームに他のキャラに他の戦法と目新しさを求めていて、人の目からしたら研究中で負けている事の方が目に留まっていたのだろうなと振り返る。それが分かった昨今ではキッチリ勝ちを収める試合に、それでも負けてしまうこともあり、気が付いたらひとつの勝負の一挙手一投足にすごく神経をすり減らしていて、考えるし緊張するしで例え頭の悪そうだと思われるようなアクションゲームでもグッタリ疲れるようになりました。

 それで今日はテレビで野球を見て、相撲を見て、株のチャートを見るとアレコレ考えすぎてしまうので、すり減って来たツッカケを近所のスーパーで買おうとしたら980円でいちど考え直し、ツッカケに100均で買った車用ソファ(椅子の座布団のように使う)に付いていたボール紙のゴミが片方セロハンで丈夫だったのでハサミで切ってソールにしてそのツッカケで庭でタバコを吸って考えすぎないようにして、ネットでツッカケの値段を見ると安いもので380円からあったけど、いざ決断して買おうとすると送料で結局1000円オーバーになるので、近所のスーパーにもういちど行ってこれなら良いかなと思ったものをレジに持っていくと495円で得した気分になりました。

 まあ、野球を見ていると強いチームはエラーが無いわけで、投手戦と言っても外野内野の守備がキッチリしているから投手にスポットが当たるわけで、ストIIターボの波動昇龍の弾ジャンケンでも対空昇竜拳にミスが無いのが前提で、長期戦になると飛ぶだけのブランカとかの方が楽な部分もあるわけで。そうして10代20代は100連勝くらいしないと自分の努力と周りの怠慢を比べて割に合わないと思っていたけど、今は勝率8割でも御の字でひと勝負に100円賭けることも勿体ないという普通に金銭感覚で、チェーンの弁当屋で買う晩御飯にカップスープを100円で付けるようになりました。唐揚げとか。

 まあ、スリッパが980円か380円かというとスーパーでも服売り場があってスリッパ一足の儲けが600円でも売り子のバイトの自給が1000円なら1時間で二足は売れないと儲からないわけで、履物というとすり減って必ず売れる商品ではあるけど競合メーカーもあってひとりでたくさん買うものでも無いわけで、そうすると履物メーカーの株の値段ってあるのかなとなると履物メーカーは中小零細のようでしかし需要供給バランスが既に均衡していて投資対象では無いけど専用メーカーはあるはずで。

 そうすると株も東証プライムまで成長した大企業を買うとなるとそれは投資とは言えず買収に近く、グロースやスタンダードを買って初めて投資と言えるのではないかと思って銘柄を調べるんだけど世の証券会社というのは金持ちに有名企業の株を持って自尊心を高めてもらって手数料を取るビジネスて、俺も株を始めt頃は証券会社の営業などプロの意見が聞きたいと思って相談したけど、彼らの給料は比較的にIT関係より安く、俺の持ち寄る「これでも買おうと思っている」「それはなんでですか」というやり取りで相手の方が鋭い考え方を聞けて儲かったのではないかと今では若干失敗したと思っている。

 それで現在は隣国が戦争中ということで金融は混乱状態で市場の動向を見張るだけでも目一杯。そもそも戦争の遠因が経済が煮詰まることで労働階級がタダ働きのような型にはめられている事への圧迫感もあるわけで、高校の時にならったコルホーズソフホーズの行きつく先は日本でいうと年貢制度への百姓一揆みたいなもので。

 あとは東京三菱UFJの株が連日すさまじい出来高で、何かが起こっているのは分かるが何が起こっているかは分からないという気持ちの悪さから、提示されている情報だけで世の中の市場が見渡せると思ったら大間違いな事だけは分かるんだけど、今の生活を続けて見越せる貯蓄額が知れていても、その未来が予想通りやってくるということは毎日が平穏無事で無病息災ってか俺すでに病人。薬がなけりゃ死んでいてもおかしくない。

 ことゲームが強くなっただけで、十分に道楽したとは思っていて、株などの金融商品を趣味にするくらいなら何か働きたいという気が無いわけでも無いが。もともとそういう俺みたいなのの暇つぶしとして有料で提供されているのがテレビゲームだろってね。

 まあ冒頭にも書いたけどストIIターボや餓狼スペシャルなどはエラーが無くなるまでやりこんで勝ったわけで、理屈で説明すると誰でも分かりそうな博打なんだけど、その中でも細かい気付きや読み筋の理屈は山ほどあるわけで。

 それは無意識的にやっている部分もあって、他者に論理的に説明するように自分で意識して言語化すると読む気も起らないような分量になるものだと思っている。読み合いだなと思ってから、ゲーム理論や期待値に行きつく前に心理によるものだと心理学とかもやったし、それが普通の心理学ではなくゲームの画面を見て人がどう思っているかの認知心理学とか工業デザインの理論の本も読んだ。

 そうするうちにモニタのドット絵を見て人がそれが人型のキャラクターであると疑いも持たずに見ている事にも合意できるわけだが、それは1周回って普通の人はどう見ているかに合意しているだけでドット絵はドット絵でプログラムはプログラムでって嚙み砕いて考えている時点で既に全然違う考え方をしているわけで。

 まあ、俺は高校の頃から学校の勉強には疑問がいっぱいあって、しかし試験というルールを守らないと入学はさせてもらえないということに合意して試験勉強をした。それでもルールだからと元々おかしいと思っているところに飛び込もうとしたというのが自己矛盾で、やがて自分で得てきた知識がたくさんあってゲームという形で体系づけられているのに、大学で何かを教えるというのは無学な人が教えを乞うてその人にも分かるように説明するからありがたがられるという話で、おおよそ理解の出来ない体系を形作って助手の候補を試験で探して国家から科研費を取って趣味のような研究に没頭している大学教授がサラリーマンより高給を取っている時点で教育や公平というのが虚構だと説明が付く。

 しかし、俺がそうだったようにおかしさや矛盾があっても高校から大学まで受験するときにはルールだからと嘘を飲んで勉強はしているものだ。だから大卒の方が数学とかそれ以前に言葉が通じるから話で盛り上がるが、ゲームセンターで100円賭けているのはもっとどうしようもないのだっている。自分たちが嘘と分かっても承知で飲んだそのルールってやつをまだ飲んだわけではないというのが社会的な意味合いでだが、台のプログラムはルールだから飲んだわけではなくそういう機械で遊べるから扱っているだけなのだろう。

 そのへん、預金や金融商品もルールを分かっていないと自分の口座のカネが勝手にMRFとして運用されていたり、預けているという意味で預金だけど法律的には貸した金で使っていいのは銀行の方みたいなルールをまだ分かっていなかったと思い知らされる時もあるわけで。

 まあ、ゲームの台に100円玉を入れてしまっていた頃よりはお金について賢いつもりだが、ゲーム代が欲しくて働いてゲームに使っても余分が出たころと比べたら稼ぎは少なくなっていて必要最小限の出費で暮らす感じになっている。まあ、スーファミの餓狼スペシャルや遊戯王DSを買ったり電気代とかが果たして必要最小限と言えるかというと、それだけの余剰資金でゲームは遊べて、投資商品もギャンブル性を帯びた余興として楽しむ人だっているわけだ。

 お金の話となると企みもあって、隠さないとと思うからブログにする時に考えすぎてしまうことがあるが、これも洗いざらい書き出して脳を休めた方が読む人にとっても考え方として理解しやすくなるだろうし、公益性も増すかもしれない。

 まあ、ためていた分だけ吐き出してグッタリしてきた。証券会社の営業マンの方がたくらみのあるお金の話をざっくばらんに吐き出せて楽だったかもしれないが、お金のことも絡むとなるとテレビゲームやトレカのように人畜無害の趣味として仲間と話すというわけにもいかない。「俺らそんなん元々持ってないっすよ!」とか言われておしまいなのだ。

 しかし俺にしてみればお金が無くても桃鉄で遊んだりする人だっているわけで、桃鉄レベルでも地域の物件とか知っているなら話の取っ掛かりにはなりそうだがサイコロ振って株が上がった下がったみたいなゲーム性と、実際の経済というか実態を調べ上げて株価を予想しようみたいな取り組みに付き合ってくれるものはおらず、話をしたら「上がるのか下がるのか」「買えってのか騙すってのか」くらいの返事しか来ない。

 中には「ウソつくなカネが増えるなんてあるわけないやろ!」と激高したやつも居るが、造幣局でカネを作ればカネは増えるわけで相手の得意な化学で行くと地学的に世の中の元素の総量は変わらないが、元素が自然にある形と工業製品になった後では価格が違うわけで、造幣局でカネを作る以外に工業製品をたくさん作るだけでも市場に出る商品は増え続けるわけで、しかし紙幣もしわで消耗するし工業製品も壊れるしお金が増えたらインフレ傾向で物価が上がって賃金が上がってもモノを買うのに必要なお金もかかるようになってその割合を実質賃金と言って変化率の差で見るんだけど、そういう計算を繰り返して毎日を与えられたままのんべんだらりと生きるよりは考えて得になるようにしたほうが良いと思っていて、そのために知恵を出し合わないかという持ちかけにそんなこと毎日考えているやつはそんなにそこらへんには見つからないというか。

 ただ、その落としどころが余った金を投資に回すであって、そもそも余っていないのは雇用されてもらったカネを作られたモノを買うのに全力で皆が回しているからで。

 量が足りてきたら、持つものや食べるものの質を上げるのにお金をどう使うか。金額に比例して質が上がるような買い物もあれば騙し合いで値段だけ高くて質の低いものを売りつけられることもあって、しかし騙すことなく良質のものが手に入る社会が理想とするなら、他者との差別化は進まず良質の服というのが定義されて人民服の中国共産党のように日本の服はユニクロ1択みたいになっちまうのに多様性の危惧もあるわけで。

 その意味で俺は俺でお前はお前で別物であるというところと、相談して知恵を出し合って同じ結論を導くことに安心感とか共感を覚えたいってのもひとつの矛盾になる。

 考え方を養う数学で解き方と答えを一意にした東京工大のような集団がデザインの良いとされる車や服を量産してそれが量産されたがゆえに普遍化して目新しさとか質の良さを感じなくなるという連鎖が停滞した経済を産んでいるのかもしれないよな。

 その意味では株式投資も人に秘密の自分だけの戦略を隠し持つから勝った負けたの味があるのかもしれないよな。ただまあ、多くの人で持って軍勢の多い少ないで勝負したいって気持ちとそこは駆け引きもあるのだろうが。


🄫1999-2023 id:karmen