難問を考えたら自然とドーパミンは出る

 俺はどこかで格闘ゲームの必勝法を考えるのをあきらめた。

 初期には図形的に考えリーチの長さや飛び道具からはじめ、やがて成功ダメージと失敗の反撃ダメージの得失点差にねらい目の期待値やフレームの有利不利の切り替えなどを考えたが、いわゆる「二択」にはやや嫌悪を示し「安定」が好みのスタイルだった。

 しかし「安定」に対する1点読みを主戦略に加えるとすべての行動というか最も合理的に思える行動自体が3者で3すくみになり、その期待値を賭けの歩合の裏を取るように勝負は均衡する。囚人のジレンマに対する最適戦略ナッシュ均衡になるのだが、まあ小難しく言うとそうなのだが「格闘ゲームってジャンケンよね」ということに1周回って戻って来たという話なのである。

 そこを考えてもジャンケンなので堂々巡りになるのだが、ゲームはアクションゲームなので成否を深く考えずとも状況は刻々と変化してスポーツのように楽しめる。

 スポーツとして楽しむうちに論考はどこか流れ作業のように変化し、適度に考えてはいるが長いスパンで見ると耐久レースのようでもある。疲れて行ってやめる。

 そうするうちに、ふと子供の頃に難しすぎて解くのをあきらめたパズルゲームにふたたび興味が行った。ジャンケンの堂々巡りにはひょっとすると永久に答えは出ないかもだが、パズルには必ず答えがあると言っても現実問題として解けてないパズルがある。

 ゲームの攻略でゲームをプレイするAIをプログラミングして、その競技でひとつの負けと努力による前進を覚えた。それでアルゴリズムの勉強からGBAの「ことばのパズルもじぴったん」とか受験の時に使っていた数学の学習参考書を取り出して、全部やったかと言うと全部ではないなと思ったので、問題を解いてみると分かってきたことがある。

 高校の時にゲーム仲間がゲームボーイウィザードリィ外伝Ⅲのレベル上げ競争に誘うのに俺は三年で受験勉強に切り替え、それで同級生から担任の阪本先生に「裏切った」という告げ口で平生点を引かれた苦い思い出がある。確かにゲーム仲間より進学のために勉強を始めた俺に「なんで勉強なんてすんねん!」という仲間はいた。彼らはもう国公立への進学をあきらめて行けそうな私学への受験に切り替えていた。

 その意味では俺は東京を目指し仲間は裏切ったし親にも「どうせそれなら受からないから大丈夫よ」と東京で下宿したいというと「いいよ」と言っていたが、センターが終わっていざ東京まで受験に行くとなるとホテルが予約でいっぱいで京王プラザの高級ホテルのみ空いていて、高級ホテルから試験会場に行く時点で東京で浮いていた。

 結果として大学には不合格だったが、あの時の勉強のうち数学は特に難問を解けるようになっていく面白さがあって、夢中で数学ばかり勉強していたことを思い出す。ただし、試験が迫ると歴史を暗記問題と捉えて点を取るために年号を丸暗記しようとか、試験ありきの勉強になっていたため、センターの点に見合った学力は無かったと振り返る。

 勉強という意味ではつまらない会社を退職して国家試験の上位試験を取るためにやりはじめて、それから中高の受験をもういちどおさらいしたが、難問を頑張って考えるのと、学年が上がると使う専門用語が変わるので単語量が増えると実は言葉が難しく書かれているだけで論理的にはやさしい問題というのにどんどん仕訳けられ、まあ普通に言葉の分かる平均的な点数まで学力が上がった時には数学はいつしか興味の対象外だった。

 そこへ来て、もういちど数学をすると、これも公式を丸暗記してしまえば解ける問題と、公式それ自体を導く問題などに細分化してみると、やさしい問題に転化できる問題もあるが、どうしても閃かないと解けない問題と言うのがある。

 それで今はそれとは別に将棋の前向き枝刈りについて、ビジュアルベーシックで現実のプログラムとして実装する具体的なコードを考えている。まだ閃きが足りない。

 ゲームも映像や音で与えられる快感の面白さと考えて作戦を立てて勝つ思考ゲームとしての面白さが織りなされて夢中になるのだが、ひとつずつ分解して、理解して狙い通りに勝てたときに達成感は得られる。

 何か目標を立てて達成したと認識した時にも喜びはあるが、その道中で考えているときに出ているドーパミンでも人は快感を感じている。ランナーズハイと言うがシンキングハイみたいのが高校の頃から、プログラマを仕事にしていた20代の頃にはあった。

 しかし、ドーパミンの過剰分泌というのが俺の病気で薬で抑えられ、ガッと一気に何事かを考え出した答えが社会や医者から「間違っているよ」という認識を生んでいる。

 クスリで抑えられて性格まで変化した俺は家族とも上手く行かず、死んだとか別人になったと言った方が分かりやすい状態ではある。けど、肉体的にはまだ生きており、親兄弟と上手く行かずとも結婚して新しい家族を持つという希望はある。

 ただし現状、テレビを見てパソコンをしてたまにゲーム機で遊ぶ生活に勉強を加えたところで現実問題に何ら進展はない。外交的な改善を考える上で精神障碍者のレッテルを貼られているのはとても不利に感じる。ただし、経済面では障害年金をもらえるので、それでスーパーでメシを買えば当面食いつなげ、パソコンでの副業や金融商品で貯金は少しずつ増えている。

 まあその合間の時間での勉強やゲーム攻略は面白みを感じる要素というかクスリで抑えられてもなおドーパミンが出ていると感じることはあるのだが、袋小路とか堂々巡りとか、出口を探す向きに本当になっているかというと、いまこうして書き出して出口を探そうという結論に至ったわけで、まあまあ考え方は改善されたのかもしれない。


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