モンテーニュと龍虎の拳

 若い人で左に騙される人が多かったのは学校教育があって日教組が左だから学校で教えられることを真に受けるともれなく左の洗脳にかかるからであるが、自ら良く学び考えるものはその限りでも無いし教育に反発するものもいるわけで。

 それであらためて選挙戦はだいたいが自民党の圧勝なわけだが、では右派思想は何かというと実力行使の軍肯定みたいなイメージはあるんだけど「ルネッサンス以降の個人主義を源流に持つ」というと唐突で分からないので、まずモンテーニュを読みました。

 それから龍虎の拳をロバートでクリアしました。

 どうもロバートさんはギースが黒幕でやっつければ良いと早合点しましたが。

 リョウは父さん思いで

 「生きてさえいてくれさえすれば 俺は何も言うことはないよ」と。

 モンテーニュ懐疑主義の立場を取るけど、絶対というか真理なんてものは無いという立場の人が常に「絶対に絶対はない」みたいな入れ子の論理でもって客観的な事実を捻じ曲げてひとりの世界に入ってしまうってことはあるよね。

 そりゃ社会的通念と自分の思想が合わないと隠れ住むくらいしか道は無いわけで、話し合って分かってもらえるなら哲学者が後の世に向けて本を書くなんてこともなかったかもしれなく、今の世ではなく古典に学ぶというのも学問の基本的な方法とされるものがそもそも哲学の体系からすると古典学派なわけで、まあ簡単に言って「偏ってる」

 偏っているというと、学力試験で偏差値50が全く偏っていないわけで、優等につけ劣等につけ開いたところで偏っているという解釈で見ると離れていて、まあ学力優等で「流行りものや噂話など興味が無い」というのと「遊びまくって勉強できねー」は典型だが、そうではなく遊びにも俺の場合「格闘ゲームの強さ」とか「ギターの腕前」みたいな学力試験みたいな尺度でもって優劣を付けて総合評価を加点し気にして「けど俺らはこういうコト出来るぜ!」みたいな考え方が根底から間違っているのが最近分かった。まあ「絶対に間違っている」とは言い切れないけど「何かで劣っているとしてもその分その人が時間をかけた優れた部分があるはず」って考え方も偏っているわけで。

 まあダン対サガットとかネコ対天上神みたいな抗えない差がある場合に役に立たないと思っていた平等というカードが神カードに見えるぅぅぅゥッ!みたいな。

 それはそれくらいで置いておいてスピノザまで進めると、また別のところでデカルトを引き継いだ別の哲学があって神学の流れも汲んでいることなどを考えると、哲学者ってちょっと特異で歴史上たまにしかいなくて、古典学派から入っていたら順序とか流れがあるけど突飛な人もいるんだよなぁとか思うわけです。

 モンテーニュスピノザが時系列的に近いから近くにあるだけで、全然違うと思うように龍虎の拳も今日の話とは全然関係ないけど俺の最近の日課なので俺の日記としての流れからすると哲学の方が突飛で龍虎の拳は普通なんだ。

 まあ龍虎の拳もだんだんコンティニューが減って来てワンコインが確実に出たらそれから龍虎の拳2かなと思うんだけど、龍虎の拳2から後のGGXXやバーチャ4に繋がるものがあるともあんまり思えなくて。

 ただまあ、龍虎の拳2の投げ受け身が必殺技の削り程度減ることを考えると、必殺技をガードして投げを受け身すれば削りみたいな数ドットでの対戦となって、そうするとローキックやアッパーがダウンを奪ってちょっと減ってしかも起き上がりに必殺技重ねて削ったり挑発やゲージ貯めも出来るから、それはそれで龍虎の拳2としてバランスが取れている部分もあったのかもしれないよなぁとも思っていて。

 「クソゲーの烙印を押されるも30年後にカーメンに認められる」みたいな。

 でも反対に当時は子供たちみんなミッキーロジャースでダッシュ投げだったことを顧みると、そこがバランス壊れポイントだったんだろうね。「何をいまさら?」という。

 まあ日記形式としてお昼に食ったものも書いておくとダブチポテトコーラでした。


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