チンピラの社会でも言う事を聞かない奴は仲間に入れてもらえない

 思えば恥の多い人生を送ってきました。なんてね。

 子供の頃から、いじめられない露骨な仲間はずれを食らわない唯一の手段がお笑いでした。笑いものなら場所がもらえる。けど、思春期くらいになってくると笑われている男がモテるはずもなく、嫌になったけどキャラは変えづらい。結果としては仲間はずれを受け入れて、そうしてみると新しい友達は出来るんだけど、ふたつのグループでの引っ張り合いに決断できず、どっちつかずなハンパもんに仕上がって行きました。

 遊ぶのをほどほどにして勉強や仕事に打ち込むためには遊び仲間の誘いを断るしかなく、その態度で俺が真面目になると昔の仲間はバカにされていると感じてそれでキッパリ決別できれば良かったのですが、相応に足は引っ張られて。

 長い目で見ると、それでも俺はゲーセン通いをやめたし、昔の仲間も段々とやめていって、それで久しぶりに会うなんて話もなく、群れていた中のひとりであって友達とは思ってもらってない事も分かるし、威圧的に接してきてビビッて言う事を聞くから面白がってからかわれただけなんだろうなとは思うんです。

 それが全く合わなくなったと思ったら、SNSとかでまた目にすることはあって、つながる人もいるんだけど、なんか仕上がっちゃってやっぱり威圧的高圧的で無視していたらDM送って来るとか、俺はそれも無視してんだけど、くだんねーなと。

 じゃあ俺が面白い奴かというと、彼らの目線での面白さにへりくだれない。けどそれは不良仲間と社会人を線引きした考え方であって、不良でも何らかの仕事はしていて、遠いところで回り回って同じ世界でどこかつながっている。やりづれーなと。別人になることはどんなに都合よくてもなかなか出来ないもんで。

 かといって気丈でいれば仕事があるかというと、元エリートでもお金のために主従があって頭の上がらない相手がいるというか、頭を下げれば騙せる相手なら面従腹背で下手に出ておく人も幾らでもいる中で、だんだんとスマホSNSで通信が良くなって、二枚舌を追い詰めるのが趣味の人とかにとっつかまって大変なことになる人もいて。

 そんな中学生日記みたいな脱いじめられっ子を46歳でまだ抱えているんです。

 会社に行ってもどこかそれは同じで、かといって今みたいに独りでいると当然その寂しさに付け込もうとする人もいるわけで。

 このくらいの面倒さ、人の多い社会で生きている人は誰しも背負っているのかもしれないけど、段々とネットでもそれは明るみに出辛く他人の目にさらされない場所で進行していくもの。俺は屈せず戦う姿勢を見せたい。

 というか「仲間」という縛りを求めること自体が何の利害もない関係に切れない縛りを与える呪いみたいなもんで、ハイソーシャルなコミュでは出入り自由で、しかし入るからには何らかコミュに対する貢献が必要で、そうでないものは入れないとすると出入り自由というのは嘘になって、だから自然に排他的なつもりはなくとも入りづらい。

 会費もいるし審査もあるような厳しいコミュ属性を持ちながらも、昔の仲間ということで無視されたら悪口を言いふらすなどして困らせようとする。そうすると弁護士を立てるカネも証拠を取る暇も無ければ、言いふらされている悪口を他の人が真に受けない事を祈って、噂に惑わされない人としか付き合えなくなってしまう。

 そんなの嫌だから、弁明は必要になって来る。昔は弱くて、色々な事を暗黙的にやらされてきたんだ。それは不良仲間だけではなく、派遣社員としての会社の仕事もお金が欲しいという弱みでそうだったかもしれない。許しがたい罠だけど、そもそも俺のことも会社の事も何も知らない人に前提から話すと長編になるような巧妙な罠だ。

 ただ、俺もそうして得たカネの使い方にキレイでないところもあって、それもゆすりの材料にされる。開き直っちゃだめだとは思う。

 それでも戦えるだろうか。清廉潔白でもない、だとすると悪いと思う人を裁くのは警察か検察か裁判官であって、私罰的に裁くことは民法上も刑法上も許されない。

 だからといって、人の弱みにつけこんで近寄ってくる相手はマトモではない事は分かる。だが、ゲーセン仲間という括りで多くの人間が「あっち側」に見えている。

 団体戦で各個撃破というか、ひとりずつ仲間で囲んで取り込もうとしているのだろうか。そこを断って気丈でいるためにキモイ趣味かもだがブログを書いている。


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