昨晩のGGXX(ジョニーで2コンティニュークリア)

 ひとり用で遊ぶのに、買ってからスコアを指標としてきた。そのためには喰らってはならず、速く倒さねばならない。

 しかし、それでは相手の動きを受けられないわけで、コンピュータ戦で得られる経験値がコンボのトレモとさほど変わらない。

 特にゲームのプログラムの本を読み起動して遊んで対戦アルゴリズムを試す時に相手がどういう風に動いているかが理解の範疇ならば、分かって倒せるわけで。

 というわけで、スコアはひとまず辛抱して泳がせて相手の動きを見て、どう仕掛けてくるのか見ながら戦うこととした。

 これでスコアは下がってしまったが、苦手のメイを何とかワンコインで倒し、最後はイノを全て見切るテストとなる。2回負けた。

 まあ、勝ってしまったのは結果を急いで大ダメージ技で博打を打ったら当たったという最後の方の結論はいつものジャンケン理論と同じなのだが、だいぶ良くなった。

 そこで巻き戻ると、スコアは良くはなっていない。この状態で確実に勝てるようになって、それからスコアをするのかというと、遊び方のひとつがスコアであるだけで、そしてスコア以前の目標がひとり用ではなくゲーセン対戦で勝つことであって、しかしゲーセンには行かなくなり、同じソフトで何度も遊べば貯金になるという別の面のメリットも考えるようになった。

 問題は同じお金を貯めるなら最初からゲーム機など買わずにテレビを見ているだけでも良いのではないかという所で、俺にとってゲームは退屈な番組よりも刺激的なものという位置づけであっる。

 事をゲーセンに戻すと、家に居づらかった時にゲーセンに通うようになった過去はまああるわけだが、俺にとっては住みよい家でも家に人を招いて対戦すると対戦がタダだと言っても来客側にメリットが無くてはならず、結果メシを出すとか適度に負けるという事をしていた時期もある。

 だが、ゲーセンで強い謎の人からだんだん身辺が割れると、勝てない人から見て憧れで出来ていたオーラは失われ、ただのゲームが好きなオッサンで付き合う価値無しだ。何故ならゲームが好きで一生懸命やっている人はゲーム機くらい持っていて、過去の俺がそうであったように100円で真剣勝負がしてもらえるからゲーセンに通うのだ。

 それに対して俺は教えを説く。ゲーム機で遊ぶべきだ。お金は大事だよ。と。

 それでも何故かGGXXを遊ぶのは買ってしまったからで、本当はお金があるから新しいのが欲しいのを我慢する必要もあまりないかもだが、それでもポンポン買うよりしっかり貯めて、そしてゲーム以外の趣味も持ちたく、その頃には貯めて置いたお金が役立つだろうと考えているから、ゲーム全振りの「道を究めし者」としてのキャラの意味もない。

 メシの贅沢、酒タバコ、ギター、パソコン。そういうものが俺の格闘ゲームを極めんとする求道心を蝕んでいった。ゲームを極める主体を目線にすると蝕むだが、人生の幸福という観点に立つと他の事で満たされてしまった方が容易い。

 そしてブログとしても俺の書く当然の外堀の話ではなく、ゲームの事を読みたい読者がいるのかもしれない。その辺はカウンタだけでは何とも分からない。

 いや反対にストIIターボのダイヤグラムが今でもよく検索されているし、カプエス2のガイルの話が読みたい人も多いみたいだし、それに対して俺の提唱する弾ジャンケン理論では不服もあるってか理解されないのだろうなとも思う。

 サイコロなら、何度も振らなくても形状を見て6面あって、場合の数が6通りに分類されることは理解が容易い。斜めに立たないかとか、2個振って7が出なかったとか、物理方程式を解けば投げた瞬間に上面が予測できるとか、確率に対するおなじみの反論は幾らでもあったわだが、確率という数学のひとつの分野があって、それを受け入れて学ぶためには事象を場合分けして数の組み合わせという理解をしなくてはならない。

 そういう数理化を「理解」と呼んで良いのかは、真理のみが究極的に理でありそれ以外の理解は誤解であるという立場に立つか、まず確率という考え方があり事象をそれに当てはめれば近似が取れたり統計を見比べた判断が出来るという立場に立つかの差である。

 ただまあ、格闘ゲームに人が何を求めているかというと、求道心は文字通り道を求めるもので、上手くなりたいという事で、そこにあるのは技と読み合いなのである。読み合いを確率化して、弾ジャンケンを理解すると、金ジャラジャラ入れて博打を打ったらそのうち勝てるみたいなパチンコ的な考え方になり、そうではなく1回の勝負を一期一会で大切に味わう。それに対して上手い奴は上手くなるのに秘かに相当な試合数を積んでいると俺は見ている。ただ多く打ったから勝つというものではなく、多く打っている間に変容した価値観というか、その見え方こそが求められるものであろう。

 その辺のことをゲームを家庭用で買って数やるというアプローチ以外から、文章でもって読んで追体験したいとなってくると、体力ゲージやキャラクターの位置を画面で見ているモノを数という抽象概念に捉えなおす必要はあり、けど別に数字でなくともゲージとキャラグラがそのものズバリ数的グラフと大差ないので、問題は行動の試行回数という時間軸と共に過ぎ去ってゆくものを数えて改めるしかないと俺は説く。

 まあ土台、ゲーム機を持っていてゲーセンでもして勝てないというのは俺からすると土台、辛抱が足りていない。勝てるようにならないのなら、勝てるまで家で練習しろという根性論みたいな統計学なのである。場合の数が見られるのはサイコロの出目が出尽くしてからなので、バーチャファイター4で最低1000試合が目安だ。

 そうすると俺のGGXXはまだまだ数を数えている途上なので攻略法に値しない。


🄫1999-2023 id:karmen