僕は何を思えば良いんだろ?はい、イエモンのJAMの歌詞から題名借りました。
まあウチはオモチャがある程度には裕福な家庭でした。しかし俺が22歳で就職して、家庭は崩壊の一路を辿ります。俺が朝会社に行って帰ってくるまでに親も兄弟も自営業という体は取っているものの家で遊んでいるだけなのが周囲からあらわになったのです。そこにあるのは息子を学校に行かせて立派にするという母親の夢は立派になったら自分が親として実権を握って豊かになるという想像から来たものですが、朝出かけて夜遅く返って来て、その給料は17万。「息子さんがお勤めなのに」と親父の商売が上手く行かなくなったから家にカネを入れろという話にもなりました。
25歳で大阪にマンションを借り、病気してルンペンのようになり30歳で家に帰ってから入院生活、派遣で40までつなぎ、今では退職して無職ですが、親父が自営業(自営業手伝いは法的に無職だと見做されます。これ法律がおかしいだけだとは思いますが)で大家でもあるので、それでも昼飯にマクドナルドのセットを気兼ねなく食べられる程度の暮らしです。
それで俺のおもちゃ棚にはガンダムもダンバインもトランスフォーマーもウルトラマンもキングギドラも初音ミクもエヴァンゲリオンもあるわけですが、そこにマクロスのヴァルキリーを増やす計画について、考えていました。
小学校では裕福さが反対に貧しいと言っても公団くらいに住んでいるサラリーマン家庭からして実家が校区内にある家の子で壁があって、悪ガキが友達になろうと言って家のおもちゃを欲しがって俺やさしいからあげちゃうみたいな小学校生活で、中学から学校の中に公務員とか病院とかのひとりっ子でもっと金持ちてのとオモチャ好きでつながるんだけど、ゲーセン通いもこの頃に始まって、まあ普通の私学のボンちゃん繋がり。
それで「俺もガンダム」「君もガンダム」「わーいわーい」「ともだちともだち」という中学なのに幼稚園並みの友達関係は卒業とともに疎遠になって行くんだけど、ゲーセン通いをやめなかった俺の周りにはゲーセン友達と思っているのが何人もいたんだけど、プレステ発売以降のゲーセンは新作をいち早く遊べる夢の場所ではなく、ゲーム機を買う金のない子が100円でも遊べる場所という位置づけでもあり、しかし何人かは家にゲーム機があって、特にカプコンSNKのゲームの「対戦をする場所」で、仲良くなると「君強いね」「君もね」となってメシを一緒に食ったり、家に招いて家のゲームで一緒に遊ぶようになるみたいな事案が俺の周りにはありました。
まあそれでもボンちゃん同士に変わりはないのですが、年が19ともなると仕事として何をしているかという問題が出て来て、友達の輪は広がってゆくようで、だからこそその間で中華料理の出前とかニートと比べてサラリーマンってのは良い身分だけど、前述の小学校では金持ち反対に仲間外れみたいいな論理で「俺らの遊び場に何の用事だ?」という風に仲間外れになってゆくのです。
そうして格闘ゲーム界隈から仲間外れにされると、自分のキャラはガンダムとかマクロスとかのロボットもので遊ぶ「中供」で良いのではないかと。
先にいってしまうと、原作アニメの設定とか世界観とか名シーンとか、あんまり知らない。だから友達として混ざって遊ぶにはオタパワーは低いと自分で思ってる。
ただ歩み寄る方向性として、ガンダムやマクロスは子供の時に「オモチャカッコいい」とは思って、まあでも今見ると確かに子供の時はカッコいいと思ったけど、もう部屋に十分あるからだろうけど、同じようなロボットでしょ、鉄砲撃つだけでしょ(変形するのがマクロスの特徴だ!)と中流家庭のママが子供に我慢をさせるみたいな論理でお金の出し惜しみをするように心境が変化している。スーパーに買い出しとか行くと、食費とオモチャの間にオモチャの出費を抑えておいしいデザートとか、そういう家計判断も入って来るからだろう。
別の歩み寄りは反対に貧しい家庭の側に立てるかということになる。そう思うと、オモチャ持ってないからと仲間外れにされるようなコミュニティではダメだとも思う。その意味では俺の持っているトランスフォーマーは江坂まで派遣社員で勤めている時に駅前のマクドナルドのハッピーセットでもらったもので記憶も鮮明だ。他にはスターウォーズやドラゴンクエストのフィギュアはコンビニのペットボトルのキャップで集めたものだが、最近ではスーパーでリットル100円台の紙パックの飲料を買う。この辺に貧乏と金持ちの接点と断線があると思う。日常的にコンビニを使っていると「あ!」とおまけつきを買えるが、そもそもコンビニに行かないスーパー節約生活をしているとおまけがついていることも情報として入ってこない。
そう思うと、ひとまずパソコンで遊べるのにパソコンでアマゾンにアクセスしておもちゃをポチるという行動は理念からして否定される。我慢だ。よし今日は我慢だ。