今日のカプエス2(サガットを使うと元気が出てくる)

 タイトル通り、サガットを使うと元気が出てくる。闘劇以降のネット掲示板ではAブラベガが最強ということになってしまったが、発売から公式まで俺が頑張った期間は俺の持ちキャラが旧レシオ1(カプエス無印ではレシオ1の4人チームが最強と言われていた)とあとはストIIでやり込んだリュウ・ガイル・ダルシムだったわけだが、サガットの方が絶対に強いと言って、それでそれまでの俺なら弱キャラで勝って「こっちの方がプレイヤーとして強い」というひねくれた論理を展開していたわけだが、公式全国絶対取ったる!と意気込んで強いと主張したサガットを自分で取って臨んだ。

 まあその結果はベスト8中4人以上サガット使用で俺だけ強いわけではない(本戦で敗れた相手もサガット)で平等を思い知ったわけだが、本気で挑んで何の文句も無く敗れた経験がそれまでなく、挑戦権を得るまでの頑張りが人生で最大の頑張りだったと思っているので、サガットを使って勝つとあの頃を思い出して元気になるのであった。

 それで自分の筋が通ってくると、世の中がおかしく見えてくるから不思議だ。

 世の中に騙されている人は自分の精神の中に矛盾を内在させていて、仏教などはその「矛盾を許容する」ということが重要とされる。おかしいことくらい辛抱して自分を殺せということだと俺は思っている。

 例えば身分がそうだ。日本国憲法では人は法の下に平等で、朝ドラでちらっと「華族と貴族の身分を一切認めない」という条文が読み上げられたが、法とは別の次元で学歴社会というものが唱えられ、出自(世襲)による身分ではなく学歴の高いものが高い身分につくのが学歴社会であるわけだが、一切の身分を認めないと言いながら学歴によって新しく身分を儲けているのである。それが大学では学位として授けられるわけだが、国家公務員などは法律で認められた士業となる。華族と貴族は認めないが士業は認めて、普通の仕事の威力業務妨害と公務員の公務執行妨害などが刑罰としての重さが違うことなど、法による身分の再構築であると言える。

 そんで俺はと言うと家が旧家だから代々偉そうな物言いなわけだが、身分を認めない人から「偉そうだ何様やねん」と子供時代からいじめられ、それで専門学校を出て専門士の称号と国家試験に通って情報処理技術者の資格を得たわけだが、これらは法で認められた身分であって、そうなると敵方も大学院とか国家公務員などの上位の身分で戦うしかなく、それらを騙ろうとしても元々やくざで公平を語っていたのではないかと思いだすと、もう子供のケンカの言葉が難しくなっただけの話ではないかと。

 それを子供のケンカと言うなら、俺の好きなテレビゲームは何なんだということになるのだが、そういう子供のゲームを大人と言って良いのか、年だけ食った子供がド真剣にやるから見世物として面白がられていて、その間は良かったが、カプエス2の公式全国前はサガットを使って勝つことで、既にその子供が面白がる求心力は無くなっていた。子供が勝てないわけだからね。だが俺は勝って気持ちがよく、面白がられるよりは勝って威張る方が心持ちがスッキリしたものであったのだ。

 順序的に、そこからゲームではなく士業となった公務員同士のいじめゲームにヤクザの騙りが入って来て、社会が怪しい雲行きとなり、最終的に俺は病気で入院した。

 退院してからも、そのままの空気感での社会情勢である。今もその頃に登場した東大卒プロゲーマーときどさんEVOでベスト8入賞と頑張っておられるが、彼もまた俺の目線では勝っている俺を黙らせるために新たに送りこまれた刺客のような存在だ。

 そのへん、Aベガをチームに入れているあたり、ときどさんの存在は邪魔者のようで、俺のキャラが強くなったという意味ではプラス側面もある。俺のチーム旧レシオで考えると3・3・3のボス・ボス・ボス。ストリートファイターのボス、餓狼伝説のボス、そしてストリートファイターIIのボスだ。餓狼伝説3のボスとKOF94のボスがまだ控えているわけだが、俺はこのチームで十分面白く遊べている。

 そういう風にボス対ボスになってくると、華族と貴族を認めなくても総理大臣がいて象徴天皇は残っているわけだし、会社と言うのも武家由来の財閥が絡んで強い。日本国憲法が強いと言っても、法廷に議題を上げて裁判しないと、お触れのまわり切っていない理不尽はまだまだ世の中に世襲と言って差し障りないものから、先に挙げた身分の廃止と学歴で認められる身分のように矛盾が残っているのである。

 そこで何でカプエス2やねんというと、もう一切合切面倒でゲームをして遊んでくたばってやると投げやりになる側面と、子供のように勝って喜ぶ無邪気さがまだ俺に残っているのです。だから生きているということを実感できる。主体は俺なのだから。


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