マジックは「不思議」でなくてはならない

 まあ、つまらないもだと思うんです。演技を見たことが無いのにマジックの種本を読むというものは。まず、不思議な体験をして、それからタネがあるのではないかと思い、知って納得する。俺が生まれる前には多くの人がそれを体験した。それから科学の世紀が来て、子供がちょっとしたインチキ手品に不思議がるのを悔しそうにする親がいた。

 土台、ステージパフォーマンスとしてしか魔術というより奇術は存在しないと思っている人は奇術のプレイを客観的に演者の側から想像して見ているから不思議でない。しかしタネを知らないで観客の側から主観で見るとまことに不思議なものなのである。

 だからして、俺がどういう主観でもってマジックに接してどのように騙されたかと言うところから説明すると、もやは20年以上に及ぶ長編となり、先日まではそれをつらつらと綴ってきた。

 しかし待てよと。ふと、自分は演者に憧れてそうなりたいのではないかと考えた。そうするとデッキの中身を先に披露するというのはいささか問題である。

 もういちど「しかし」だ。騙されてくれるものを探さないといけない上に、種が分からないならインチキとかペテン師の烙印を押して社会から排除しようとする者もいる。それもたくさんいる。だから釈明として、数々の数理トリック、論理学を持って俺のMTGのプレイを説明してきたのである。

 それはそれで納得してもらえて、どこかのデュエルショップで読者が勝利したかもしれない。実際にプレイしたのであればだ。だが、世のこのネットというのは自宅に居ながらパソコンやタブレットで、はたまた移動中の電車やバスの中で手のひらのスマートフォンで、安易に読んで満足したいと思うものが読むのであろう。

 そこで今回はトリックには触れず、デッキの写真を見せるにとどめ、欲しいものは買い揃えて自分で試すという伝達方法にすることとした。

 だが、もうひとつのタネを明かしておくと、昨日までの「強い」デッキも、既にタネは分かり切っているし、ヴィンテージ・カードプールにはもっと強くて高価なカードもある。何故辞めるかと言うと、もう売って手放したいとも思っているからだ。

 従って、高価で売れそうなものを手放しながら、それでもゲームを楽しむためにマイ・デッキは少量だけ残しておく。そのトリックの全てを明かすことをしないのもご理解いただけるだろう。おおよそ、マジックの種本なる物も、ケチで少しのトリックに長ったらしい文章を添えて、何冊も買わないと分からないように引用を多用して、本を売ってお金を稼ぐためのトリックと共にあるものなのだ。

 おおよそ、古代から続く文筆のトリックもそれはレトリック(文脈と訳される)わけだが、漢字辞典や国語辞典がまだ無い時代にはどうやって読み解かれたのであろうともう想像の及ばない世界ではある。


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