おじゃる丸としての自意識と民主主義政治

 まあ先日に政治みたいな難しいつまらない話はやめて趣味ブログに戻そうと、そういったばかりなので、つまらない話の前にオモチャで遊んだ写真を。

 この構図よね。官職が政治を取り仕切って決定の時に操られるように返事を促されるのがおじゃる丸の運命だと思うのよ。俺だって自由意思を持ちたい。

 だけど、もし俺が自由になんでも決めれて、そういう人が政治の中枢にいて、独裁者であったとしても、人がひとりで把握できることなどたかだか知れていて、その結果として最高意思決定者をおじゃらせておいて、とりあえず人ひとりの満足を宮中に作ってしまおうというようなことが日本の政治のはじまりのほうにあったはず。

 俺だって部屋でひとりでテレビを見ているだけなので、NHKが全部嘘だった!みたいな世界があったら、部屋でテレビを見ているだけの人なんだろうけど、NHKがまあまあ国を良く映していて、そして何らか意思疎通の方法があったら、まあ見たい夢をみられるような生活なのであります。

 その中でNHKは国営放送であるわけで、例えば野党の維新とかは勢力が伸びそうになったらNHKがテレビに出してくれないと橋下徹がその昔に怒っていたように、放送局でありながら、選挙の候補者の出演時間を管理して、暗黙の府となっているわけです。

 んー、今回も維新出なかったなぁ、橋下徹の頃は民法を良く見ていて、国民投票の頃はそわそわしていたけど、退職してからチャンネルがNHKになって行ったんですよね。そのへんの詳しい話はなぜそうなったか思いだしくれないけど、忙しい合間を縫って見るあわただしい民放と違って、暇で毎日見るのにNHKの番組作りは見やすい。

 そうすると自民党びいきになっていたのが、今回は「自民党過半数を割るかが争点」ということでひと晩明けてみてまあ割れたわけです。

 自民党の一党政治というか正確には自公連立ですが、過半数を持っている政党が法案を出して議決できる。意思決定においてはとてもスムーズな状態ですが、国政というのは内政と外交があって、見る人から見たらスムーズな意思決定が決定の速度を上げて明らかに暴走していると判断する人も多かったわけです。

 それでまあ、自由民主と立憲民主で民主と民主で民主主義って何を言っているのか分からないかもしれませんが、例えば維新や共産のような野党と自民という与党が議席を取り合うのは政党政治と呼ばれます。俺も不勉強なもので政党政治が何なの?といわれると正直分からんところもあるのです。大正時代からの伝統ですからね。

 だけど、その政党のひとつである民主党の民主主義政治とは何かというと、国民が投票して政治を行うということですから、与党となった自民党が党内で法案を作って自分たちで可決していたら、選挙は民主主義政治というか候補者選出選挙でしかなく、国民には選択権が実質的に与えられていない、野党が足りないとも言われていました。

 それでデキレースのようですが、大きくなった自民党を自民と民主に割って、同じ民主党として反対票の受け皿が用意されたわけです。んだよ立憲とか言ってんのに小沢一郎とかいるし、結局名前変えて有名なやつらが議会で票レースやってんだけじゃん!

 という風にも一度は思ったのですが、石破か野田かということを決めているようで、競馬のように自分の入れた政党が勝ったかみたいに投票者が感じているとしたら、長いものには巻かれろという心理や少数派には負け犬根性が出たりするわけですが、今回の自由民主と立憲民主という民主と民主での選挙というのは、政党政治として自由や民主主義を争点とするのではなく、議会民主主義である日本の国会で国民が政策に対しての是非を投票で決める民主主義のひとつの成熟した平和革命であったと思います。

 おじゃるの独断ではなく国民の判断で多数決で決まったというか、どちらも過半数は無く、半々以下に割れて、これからどうするとじっくり考える時間が出来たんだと思います。おじゃるからは以上です。


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