まず、カプエス2を何故辞めるかというとキャラバランス的に自分の好きなキャラでは勝ち目が無いからだと思うからだ。ブランカサガットばかりに俺のキャラじゃ無理。と言って、自分でブランカサガットベガなどを使う。
しかし無理の対義語は有理で不可能の対義語が可能である。有理的に、負けてもらえば自分のキャラでも強いキャラに勝つのは可能である。そこに「もし本気で来られたら」の内の「本気」は誰の本気で、行動としては何なのか。
この心理にはストIIターボの国技館でダルシムで負け、全国で会場で1勝を上げているカプエス2のほうが本当は成績が良いわけだが、ストIIターボのほうを昨日は機嫌よく遊べた。ターボガイルだ。ターボガイルでも勝てるかというと、ストIIXのXガイルで米ネブラスカで優勝をしている。
だが、日本での戦績も併せて考えると、俺もNYとかの大会で勝てるかと考えると、厳しいかもなとは思う。そう臆すのはカプエス2は俺の貧困と結びついているからだ。
ストIIの時には親の応援もあったし、今でも応援こそされないものの自由にさせてもらっているが、会社の有休を取って米遠征のその有給は辞表と同義に受け止められてもおかしくは無いという日本の慣習を知らなかった。
もちろん、不平を並べるならキャラ相性とか環境とか、そういうものはあれ、問題は不利でも勝ち目が無いわけではなく、博打を打ち続ける財源を賃金労働としながらお金の払い役として結果ステージに立てたとして、そういう役は損だと計算が働いてしまって、つまりしんどくてやる気が出ないと言い換えるとそういう事になる。
その背中を自分だけではなく周囲からの後押しもあって、PS2の電源を入れてカプエス2をまたするのだ。そこに「やらされ感」が無いようにせめて自分のキャラを取る。

ひとまず、中ボスでGP1500を超えて上々

珍しいことに2人目の草薙京とゴッドルガールがダブルKOとなり・・・

オールクリアのボーナス点300点が加算されないままエンディングへ。
テリーも京も大足払いが長く、メチャクチャ強いんだけど、合わせて前転されるとスパコンやオリコンにゲージ無しでもフルコンボを食らう。相手が本気なら。
そうすると、相手のガードに対する正解手としては大足払いだが、そこに前転リスクがある以上はあまり使わないパンチ系や中足払いにもリスク回避の意味はあり、行くときは大足、用心して中足、前転対処、飛び込みなどすることを挙げていくと、ストIIターボの持論である弾ジャンケンよりはもう少し複雑というか単純に行列の有効手の掛け合いが大きくなることになる。
もちろん、昨日のストIIターボでも今まで最善手と思ってきたもの以外の可能性を探りながら、ウメハラの7:3論「勝ちに行くための本気が7で試したいことを3くらいで勝ち続けられたら長続きする」というやつをやってみることとした。
当然、それならブランカサガット好きなキャラというチーム編成で多くのカプエス2プレイヤーがブラサガ中心に7:3のキャラ選びをしてきた結果として「カプエス2はブラサガ」という循環から抜け出せておらず、WAOはA豪鬼マキケンでも勝っていたし、K舞がAベガを倒した試合もあるにはある。
ただ、不利で損ではあると思うが、大会優勝か好きなキャラかではなく暇な時に勝ちたいキャラの研究と強いキャラの後追いを自分なりに続けてその後に出場するか何を取るのか選ぶことは出来るだろうし、今できることとしての練習をサボっているのも明白だ。
その中で払拭できないのは誰のために何のためにそれをするかで、勝った映像をテレビやネットで頒布すれば用事は足りるのではないかという発想でもって接すると、ゲーム大会の現場というものに対する信頼は揺らぐ。実際に映像ではなく写真と活字の時代に結果を出版社サイドに湾曲された事はあるのもその不信を後押ししている。
ここに「勝ったところを」「自分がよく映るように」「たくさんの人に見てもらいたい」をバラバラにせず一気に解決しようとしていた頃と比べて、まず「勝って」「自分がよく映るようにカメラに気を使って」「たくさんの人にみてもらう」をゲームと活字とネットで組み合わせていく面倒な作業をゲームで遊ぶだけで解決できないという問題があるんだと思う。
つまり何らかの商業的意図があるかもしれない大会を自分有利に利用したいということになるので、最大限邪魔をされたら苦しいというのであれば、仲良くならないと敵対して勝つのは難しいかもしれないわけだが「勝たされた」「勝たせてもらった」ことを「自分で打ち勝った」という風に信じる心が無ければ条件を満たしたところで何のカタルシスも得られないということが米ネブラスカ遠征のあとの感想ではあった。
もともと商売をしているゲーセンが相手だったので、不利を取らされて大事なカネを台に入れて苦しい勝負というか辛くて損な負けの後に勝ちがあったから、波として勝ちの喜びが大きかったわけで、ヘミングウェイみたく年が寄ってから夢を追う何らかの物語がもっと俺の心理を変えるのに必要だろうとは思う。何もかも捨てるには裕福でそこそこ若くて、夢を追っていなくても怠惰が許されて上手い飯が食えてマルクス論で計算された誰でも味わ会える最大幸福量の中で生かされている感を持っているのだ。
まあ、今日の考え事はそのあたりにしておいて、またカプエス2は続けられる。続けようとは思えるようになってきた。ああ、昔こんなこともしたな、みたいな展開だった。