ゲーセンで負けると100円損なわけで不利は取りたくないが、不利でも家ゲーで練習するさまを応援してもらえて、それで大会などの場があったとして、国技館ではダルシムにブーイングが飛んだがネブラスカでは声援を浴びて、それで俺は帰国してから日本嫌いアメリカ好きになって、例えばモノを買って欲しい時「買ってもらえますか」「買って頂けますか」と言っても売れないものを半ば脅すように「買え!」と言うようになった。米語の「BUY!」を米和すると「買え!」だから。買ってもらえた。
それからギブアンドテイクなんかも考えた。損得抜きで社畜だった俺は派遣として、少しでも給料の高い方にどんどん所属を変えていった。外資企業でも働いた。しかし外資で使い捨てられ、いつしか日本企業体質に戻り、しかし言葉遣いと思想はそのまま。
敬語を使うというのは敬意でもって人と接しよということだと思うが、年功序列で年が上のモノが不躾なのに服従して敬語を使う武家社会には同意できず、日本をアメリカナイズしてやろう、みたいな思想はあったかもしれない。モールでモノを買いマクドでメシを食うのは今でもだ。
だがその一方で、生まれ育った日本の義務教育の洗脳は解け切れておらず、コメを食うのは日本を愛するからなのか、はたまた小麦の方が安くておいしいから食料自給率などの社会科のデータで示して米を食うことが国益だと騙されている愚民なのか。
まあ騙されているというと、毎日SNSをしていて幾多の投稿者にもきっと騙されているんだろうとも思いなおす。
そういう彼是は置いておいて、先のブログの続きを書くと、やるからには甲斐性ということでタダで出来る苦労としてのAリュウをすることとした。
Aテリー庵リュウ。モンテの常連さんは「カーメンさんがPテリー庵リュウとかなら何も文句はないんすよ!」と言っていて、まあ店なので店側の文句ではあるが、お客さん同士の場代はイーブンが好ましいということなら、そこはまだ保留しておく。
とかく、ゲーセンで遊ぶのではなくゲーム機で家で遊ぶわけで、奈良の地元民も「テリーガイルリュウが良い」とゲーム機でタダで遊ぶ友達が言っていた。
キャラはそれで、グルーヴを独りで遊ぶのにAのオリコンでやれば、独りでも遊べる。地元民の内のひとりは俺の家で遊ぶよりゲーセンの台で遊びたいということで金銭的合意がまだ得られていないからだ。
あと近所の人は別に俺のゲームは見ないが「波動拳!」とか「昇竜拳!」とか「竜巻旋風脚!」とか「セイヤ!」という通常技のボイスが外に流れて、単純に「サイコクラッシャー!」と言って「うわあ!」となると「あ、ベガが勝った」ということが近隣に少し知られてきて、キャラを選んで他と戦うというストIIのルールを知らない人からしたら、リュウを取って他を倒した方が分かってもらえる。
そんなわけでゴッドルガールに負けてしまいコンティニューで頑張っていると外から「がんばれー!」と誰かがふざけて言う声が聞こえて2コンテニューまでは人の気配がしたが、勝利を収めた4コンティニューでは静かになっていた。野球キャンプみたいなもんだと思って、またもうしばらく頑張ってみようかな、とも思える。
まあ勝ってもゲームオーバー画面は出る。1785GPはスコアとしては低いが、1500超えで充分高いと思うことも出来る。
思い返すとストIIターボは人気ゲームであったが、ストIIXくらいまで来ると同種の出し過ぎでお客さんはシラケており、俺の中ではなく人から見た頑張り大賞のヴァンパイアハンターのドノヴァンの時には、既にコンピュータに勝つだけではなく勝負としては意味の薄い技でも絵のカッコいい技でもってゲームの絵の魅力を引き出せばもっと見てもらえるのではないかと、ゲーセンの客引きのような客を頑張っていた。相手が欲しかった。
まあ、もともとそういう趣味で、催し事としての大会は大勢集まるなら趣味や思想の違う人がいるのは当然だけど、俺らは「勝ちたい派」で対戦成績をプロのように競って勝率とか有利不利とか、そういう結果に直結していると思うこと以外の興味が薄らいできていた。
けど、ゲームってそれだけじゃないよね、という筋は上手くは言わないが当然いて、そこらへんは言語化するような事でも無いというか、ゲームを彩るのは言葉ではなく絵と音楽だと思っていたけど、キャラの発するボイスも先に書いたように場を盛り上げてくれる。
地元の小さな催しのように、地域の方が俺んちのそば通ったら「波動拳!」とか「昇竜拳!」とか頑張っているなって音を部屋から流すだけでも何らかの仕事になる。
そういうわけで、今日選んだこのチームは今日に始まったわけでも無いけど、色々とあってもうちょっと掘り下げて頑張ってみることにしました。