まあ何をしたと言って新しく買った本をちょっと読んでスーパーに弁当を買いに行きのり弁当では食い足りないので焼きビーフンを気まぐれに買い、もそもそと食って国会中継をテレビで見てあとはタバコ吸ったくらいなんですが。
体の調子としてはなんかぐたーッと疲れて何をする気力も出ない感じ。ゲームしようかとも思うんだけど「やらない方が良い」という心の声にブレーキをかけられる感じ。
まあ自撮りをしてみると目の下にクマのようなものが万年あるわけですが、いや最近鏡見たらちょっと取れたんちゃうか良くなったんちゃうか思ったけど、また出た。
良く寝ようと早めに休んでも早朝5時台に目が覚めて、7時起きの人と比べたらいま18時だから20時まで起きて夜の疲れになっているのと似たような事かなと。
先日の日記でバーチャロンのテムジン・ドルカス・バルバスバウがバランス・パワー重視スピード遅い・スピード重視パワー弱めで、スピードとパワーという軸の違うものを勝敗というまた違った数で比べているというのに「比較のしようがない」と思う人もいて、そういう人はそれはそれでデータベースなど多元的な構造でパワーと速度と勝敗を3つの数に分けて考える頭なんだろうけど、俺はもともと物理学で統一理論を目指していて、グラップラー刃牙でパンチ力とは力xスピードx握力!とかいってそんなコマあった気がするけど、そもそも物理で威力というと重量xスピードなど仕事量ジュールのように測られるもので、そこに固さてか重量はおかしいな質量というべきか、とかく物理学は置いておいて、バーチャロンというゲームプログラムを考えるとその中に自機や弾丸の移動値とかがベクトルスピードとして定義されていて統一的なプログラムとして命中やダメージを経て勝敗に至るシステムなわけで、切り離されてメモリの別の位置にパワーとスピードと勝敗があったとしても、システムとして因果関係を持っている事もまた間違いはなく、求めようがないと思うような三者関係をゲームプログラムが担っていて、そこを人間VS人間や人間VSAIでもって競っているわけだから軸が違う数値を勝敗でもって競うのはおかしいとか求めようがないとかではなく、それそのものがゲームの勝敗なわけです。
そういうアホな話を誰かにちゃんと説明しないとまた嘘つきだのペテン師だのと言われないかという被害妄想的な不安があって、今日のブログにまとめる前に朝読んだ本と昼間の国会中継の小野寺さんの質疑とかも頭の中でごちゃごちゃになって、とりあえず国会で繰り広げられる様々の質問に受け答えをちゃんとする石破さんはまあ今野党優勢とはいえ頑張っていらっしゃるなと思った次第で、ああおれ政治家は無理だわ門外漢かもなと思ったのです。
はー、ホントに疲れた。国会の話を字幕なしで口頭で言われていることを聞いて論点を追うだけで、結構疲れちゃうのかもね。ドラクエ3だか5だかで調理場で「学者さんってよく食べるのよ考えるのもお腹が減るのね」みたいな話があったと思うんだけど、確かに俺は世間のバランス計算されたメシの量では大して動かないのに量が足りないと思うことがあって、それで今日もビーフン足したりコーヒーに砂糖入れたりしてんだけど、正常に運動してカロリーを消費するのではなくタバコ吸って考えて脳をグルグル動かすのでそれが病気の原因でもあって、まあ脳が病気でも実際に悪いのは腎臓ではないかという先生もいて(精神科以外も当たったので)そんで自分でも体の事を勉強しようと本読むんだけど、それで自分なりに栄養とか組み立てて食事を変えたりすると一瞬効いて良くなるんだけど、それでも先月は薬の飲み忘れが5回分あって、酒もタバコもやめられない。わかっちゃいるけどやめられない。わかってないんだろうなと思う。
まあ今夜はギョーザの王将なわけだが、チャーハンとかラーメンではなく野菜の多い中華丼にしてみようと思う。テレビ見て本読んで休むつもりが考えなきゃならんことがまた増えて、考えないで休まないと病気は良くならないけど、手持無沙汰だとタバコの誘惑に負けて台所でタバコばっかり吸っていると親父の愚痴にストレスを食らう。
そんでも親父は店の仕事にお洗濯に頑張ってくれているわけで愚痴のひとつがこぼれるのも許さなきゃとは思うが昼の弁当にいつも「シャケ弁」と言って、実際売り場に行くと毎日同じ弁当ばかりでもなく季節による漁獲量やら旬菜やら売れ行きで違う弁当になると文句が来たりもするし大体スーパーのレジ待ちの行列でも疲れるときがある。
まあ、この愚痴話して聞いてもらったら肩の荷が少しは降りるのかもだが活字にして自分で読んでも腹立ちが蘇るだけでネットに乗っかるとストレスの連鎖ではないか。
ダメダメ、もうちょっとマトモなこと書かなきゃねー。でも物理学で統一理論と言ってもそれは現代科学でも恐らく未達の事であって、一度は離れなければならない考え方だと思ったんだけど、人の気持ちとして少なくともその人の頭の中でいったん腑に落ちている事というのは真偽を問わず一定の論理性はあって、そこには善悪と損得とか好き嫌いという何らかの尺度はあって、だけどそれを超越して客観現実を考えるのが物理学であるわけで、ただ物理学が示す以外の国語でもって人とコミュニケーションを取る世界と自分の考え方の一端である物質社会はどこか切り離されており、人付き合いとしての人となりと物質としての人体は究極的に一体になるとしても、未解決問題ではあって。そこに真面目に腹を割って話すとなると寝たいメシ食いたいエッチしたいの三大欲求を夜の歓楽街で満たしながら仕事としてソフトを作って給料をもらうという生活には切り離された自我が仕事用とプライベートで完全にエンジンとして回っていたわけだが、傍目にはつまり大阪の街の人的には許されざる不埒な無法者でもあったようで。
それでプログラマから年金生活者に変わって外食がスーパーになり賃貸マンションが日本家屋のリフォームで出来た個室になり、週1回の風俗がAVエロ本になり、経済規模としては縮小している。
とりあえず働かないといけない、カネを稼がないといけないという理由で会社員になって、当面自分に要求を出すお客さんの言う事を聞くというところから全ての間違いは始まっていて、自分の思想と顧客の思想に食い違いがあってもそれを我慢すればお金をもらえて歓楽街で発散できるというのが調理場や女性へのしわ寄せで怒り心頭というのが、自宅で引きこもっていても市民は政治家に対して何らか怒っていて、そうさね20歳の時に受かってしまった国家試験、だけど18では大学進学が無かったわけで、話を聞くから怒られるだけで放って置いたら関係のない人なんだけど、やはり物理学的な統一世界としては同じ地球の同じ日本人であって、経済的な直接関係はなくとも納税者と年金受給者として間接的ではあるが損得問題で槍玉にあげられる心理負担はあって。
だから政治とて物質社会的に考えても同じ宇宙で自分とも一体であるかもしれず、門外漢だから発言する必要はないのかもだが、政局は興味関心の対象足り得る。それで目下フードマイレージという物理的な新しい食品に対する考え方を本から学び、まあ簡単に言って青森からトラックでリンゴを奈良に運んでもらう時にガソリンで消費したリンゴ1個分のCO2を算出すると、俺がリンゴ1個食ってそれより良い仕事が出来るかみたいな考え方で、そんなこと言うと動物園のエサと動物が来場者の観覧代を上回っているかみたいなのお金だと簡単だけどCO2にすると途端に難しくなるよな。全部無駄なんじゃないかとすら思える。
そのへん、国会中継の小野寺さんの畜産業の特に牛肉分野が厳しいみたいな話も同じ路線で何らかすり合わせないとなぁ、とか考えてたんだけど、牛肉なんもわからん。そう考えると地産地消とかCO2問題的には進んでるんだけどナー。まあでも牛肉も食の豊かさという意味で国民の幸福の一端を担ってきたのに経済を理由に消費が止まっているという話で、どうよ昨晩は吉野家の牛丼だったけどアレ和牛ではなくOGビーフとかなのか?産地まで分からんで買って食うよね。
先に書いたけど、今夜は中華丼です。肉食も幸福だけど肉ばっかりも胃が疲れるのよ。ホント先月ちょっとだけだったけど、マジ良くなったんちゃうかと思う日はあったので、それを手掛かりに回復を信じて生活しようと思います。調子の良い時悪い時ね。