今日のカプエス2(ゲームを始めると目の前の事に集中できる)

 もはや言葉にすること自体が難しい。混沌と渦巻く思考の中にはゲームのグラフィックがあり、それを思考足らしめ戦略足らしめるには、ゲームが一定の仕様としてまとまっている必要があって、例えばプレステの四角ボタンや丸ボタンを押すといつも同じ技が出る、果たして同じ技か?小パンチ中パンチ大パンチなどとカテゴライズして、同じボタンでもキャラの距離で違う技が出る、立ち状態としゃがみ状態ジャンプ状態に当たり判定、ボタンを押して予備動作攻撃動作終了動作とほとんどの技が3つのシーケンス遷移によって判定されており「ガイルのしゃがみ中パンチ」というと同じゲームを遊んで同じ攻略本を読んだ人間がどんな技か想像できる。その上で初めて会話は成り立つ。

 おおよそ、部外者からしたら分かりようのない話で、そこを口頭や文章で説明することは不可能に近く写真付きの攻略本を介せないと俺がブログで書く文章だけでは理解以前に把握が出来ないのだ。それでも対話を試みた相手からは「分かりません」ではなく「なんで?」攻めで、ひどく苛まれている。もう中学くらいからずっとだ。

 そうして説明しようとしてこうしてブログを書いているわけだが、このままでは伝わるところには伝わるが、伝わっていないところに何らかの知見を啓くカギになる取っ掛かりが無いまま、全く平行線でもってしか話がすれ違い続けるだけだと思うに至った。

 今日は実験的なプレイで著しくGPが低いが、それでも豪鬼をラスボスにクリア。

 とかく、話のレベルを落とさないといけないようで、実は上げないといけない。ゲームの成り行きがデタラメ同士であって「大の方が減るから大をいっぱい押した方が勝つ」ということをKOF関係の人が初心者に説明していて、なるほどなと思うのであるが、そういう人を庵の小パンチだけで倒してしまって困らせるイタズラがある。

 これはコンボも同じで、理屈としては技が当たる当たらないに理由を付けきれず、当たった時にヒット確認などして「コンボを入れると威力が大きいから期待値で勝つ」と言ってしまうと「大を押せば威力が高くて勝つ」と筋としては同じになる。

 言葉を交わす人間社会において、黙ってゲームをしているだけならそこから知性などかけらも感じないという眷属の人間も確かにいるのだが、台を通して対戦してみて戦略的な狡猾さでもって互いのゲーム戦略における知性を謀り合うという特殊なコミュニケーションがゲーセンにあった。だが、それは100円が思い貧乏で必死に勝とうとして初めて見えてくるもので、100円を取り合うから見えるもので、100円負けておけば100円入れてもらえる店側と客側の対戦となると、200円の内訳が店の空回りの100円の見せ金と客の入れる100円の実収入という対戦では見えてこないものだ。

 そこで強烈に100円の勝ちを欲する神経が出来上がってしまっているので、ゲーセンで100円払うなら家でゲームすれば100円得みたいな辛抱が成立するわけで、その論理で行くとゲーム機など買わずにテレビ見ているだけでも最初からタダなのだ。

 それでも、渦巻く思考はゲームを始めて集中すると追い出され、ゲームの世界の中の事に没頭できる。そうしておかないと、依存症というか離脱症状があるのだ。

 面白いからやっているというと、ちょっと違って、しないでいると無償にしたくなる時があって、やると落ち着くというようなサイクルが出来上がっているのだ。この感覚こそ精神病と診断されて薬を飲み始める前の感覚だったのではないか。

 例えばそれがパチンコ中毒で、ギャンブル依存症を治すために周囲がケアして、台を買えば店にカネを取られずに打てるとして、そうしてタダで打つとのめり込めないというなら通常であるが、そこにゲーセンや大会をイメージしながら家のゲーム機でのめり込んで、寝食等の生理的に不可避なもの以外をないがしろにしてゲームに没頭する。

 そういう、とてもひどい中毒症状とか離脱症状なのではないだろうか。趣味とはいえ。ゲームを続ける俺に外野からやっかみなのか何なのか、強弁しているくせに俺が説明すると「なんで?」で返されて結局俺が考えさせられる、受験には問題は色々あるがソクラテスの問いかけには誰も答えられないまま、しかし中学受験の時にはテクニックとして「問題全体を見渡し、解けないと思う問題が前にあることもあるので解ける問題で点を確保してから時間が余ったらその問題に挑め!」という小学校向けのアドバイスの方が案外と的確で、結局それはソフトウェアエンジニアリングの多重下請け構造でも、ウォーターフォール開発やボトムアップ開発の途中で生まれる分業化で、誰も分からず手の付かないところがつまるところ俺の出向先であり、難題を解いた英雄と言えばそうであるが、社会の事が分からず安いカネで無理なことをさせられているだけと言えばそれもそうなのだろう。

 精神科に行くと精神病だが生理学的には腎臓病ではないかと臨床ではなく読書でもってそれに行き着いたが、本のお取り寄せではそれ以上めぼしい情報も無く、当面精神科にお薬もらいに行って夜は寝るしかないのかなと諦めそうになっている。このまま死ぬのだろう。

 ゲームの事も分かっているつもりはあるんだけど、言葉で説明するか動画を見せるかくらいしか無く、プログラムの仕様を突き止めてルール理解をした上で競技として競っている人間がどれくらいいるかというとほんの一握りで、ボタンを互いに押したらどうなるか実験したいてのがプレイヤーの最大多数派で、こなれたストIIだけが競技的な土俵で、あとは実験中というか誰もルール把握すらままならないというのも現実で。

 その中でゲーム戦略みたいなことを書き始めても共感者も理解者もなかなか得られないとは思うが、もし俺しか分かっていない事が何らかあるならそれを死ぬ前に誰かに伝えたいという欲求があった時期もあって。

 しかし反対に先人のその思いを具現化するためには俺は古書の読者にならねばならず、賢人たるもの学ぶもので教えるものではないのかもしれないとも。


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