今日もエイリアンソルジャーから始める

 濃密な時間とは言うものの時間に密度なんて概念はないはずで、散漫の対義語として濃密が用いられているその散漫とは退屈しのぎであるゲームですらも飽きて退屈している状態を指すわけで、この濃密なエイリアンソルジャーも毎日遊ぶと序盤に飽きがこないかって言うと来るんだけど数分だから我慢できるのだが、数分退屈から始まることもまた異論はなく、プログラム方式であるわけで同じ時間を繰り返すことになるのも必定。音楽や絵画などの芸術も生活があってアクセントとして存在すればレコード1枚で充分とか絵画が一枚部屋に飾られたらと、足るを知るわけだが、画家とか音楽家になっても同じことが言えるかというと芸術に理解のある社会で他者から見て芸術家は高尚に見えても内面は退廃していないかと。楽しハズのものは観客にとってのそれであり、行為者のそれではない。

 それでまあ、先日久々にやって忘れて下手になっているからまた伸びしろが出来てもう一度挑めるわけだが、人生のスパンに置いて若いころ一度解けたゲームが解けなくなっているというのは老化を感じるに十分で、それに打ち勝つと若返るのかというと、時間は前にしか進まず今47歳と1ヶ月が2ヶ月になってしまうだけの話かもだ。

 結果を書いていなかったが、4面ボスを倒して5面ボスで負け。進歩は感じている。

 そもそも若い頃はトライエンドエラーの繰り返しと直感で戦っていたが、今はパターン化して同じところは同じように越せるように攻略しなおしているつもりだ。だが俺はバトルガレッガ怒首領蜂セガサターンを持ちながらハイスコアではなくクリアを目標にして、いちど越したところでもう二度とやらなくなったのに対し、何度もクリアしてハイスコアにチャレンジして、それが全国一位とかに届かなくてもずっと続けている人を見ると何とも身につまされるのだ。色々なゲームを遊んで得心している「広さ」の何と浅い事か。

 それでも、ゲームを深掘りするに際してSTGでも1面からのリトライをするし、トルネコ3の異世界でも1階から掘り直す、その浅い階でのレベル上げの繰り返しが深掘りのための準備として何度も何度も必要で、それを指して散漫と批判するのだから、では濃密とは何かと言うと繰り返しではない新鮮な体験なのであるが、ゲームとは同じ時間の繰り返しが基調であり、同じ面をもっと上手く越せるようになるのが成長である。

 だとすると、毎回寸分違わぬ理論値のハイスコアを出せるA級シューターはBM弐寺の名演と同じことであり、星5完走とハイスコアがどんくらい違うのかというと、STGの作品によっては30分とか1時間の戦いになり、ミュージシャンの神ライブが2時間ほどの演目であることも併せて考えると、今日の俺のASは5面で4分死にであるわけで密度だの何だの言っても下手くそなのである。ごめんね。下手くそで。

 そんでも俺としては昨日より進んでいて、それが若い頃の記憶よりは進んでいなくても、一昨日、昨日より進んでいたらまあ良いじゃないかと思うんだけど、どうだろう。


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