何者か何様か両方考えさせられる日を過ごしました。
昨日は朝からゲームで遊んでNHKでディズニーアニメ「美女と野獣」を見て、脇役として都合よくやられていくガストンにどこか重なる自分の影を思いながら、まあビーストさんにもそうであって占いの本がどのページをめくってもどこか自分に当てはまるようにアニメや映画のキャラメイクも人間のとある側面を広くキャッチするように作られていて見事にハマったのだなと思うわけですが。他にもガストンみたいベルみたい野獣みたいと思う人は俺の人生の登場人物にいて、そう思ってみると皆ハマり役だと思えてくるんですけど、それはアニメ絵と顔が似て想起されるだけで付き合うと違う人なのよ多分。
それからSNSをしていて「誰なのだろう?」と思っていたアカウントに話しかけると何と高校の後輩と言う返事が返って来て、にわかには信じられずかといってSNS以外の連絡手段もないという罠に見事にハマり、しかしあらためるわけでもなくそっと距離を置いて付き合えば良いだけの話。誰でも言いたいことを言えばよいSNSで誰だろうと思ったのは俺から見て少し面倒に見えたからだが、だからして相手も近寄ってきているわけで「後輩です」というのは俺の歳を聞いた後で知らずに来ていて俺がもし下だったらマウントするくらいの勢いを感じる人だったので、SNSに本人認証が付いているとそこには年功序列のようなものが機能し始める。年が若いと不便で歳を取ると便利なシステムであるわけで、この連鎖を氷河期世代で断ち切るとなるとサンドイッチになってへしゃげるので、適度に若い人が下に出てくれるならそこには甘えておく。
そんなことよりギターの練習だん!とまあソロギターの下手くそなのを辛抱して練習することとした。歌伴から入っているので、それだけでは曲と言えないリズムギターを練習した期間は歌いながら弾いたのでほとんどの人の耳には歌としてしか入っていないのだけど、そうじゃなくて声出さないでギターだけでカッコいいのがカッコいいという美学の世界に入ろうとすると全然まだまだ初心者という。初心者だから下手で当然なんだけど、歌付きで300円の稼ぎのあるプロになった俺の噂を聞きつけた人が初心者の演奏を聞いて「なんだデマだったのか」みたく外から笑っているのか病気の幻聴なのか、歌モノもやると盗み聞きでも満足して帰る人も多いんだけど、下手と笑うと良いのがかかるみたいな噂まで流れてそれを聞いて下手と笑っているやもしれず、しかも下手でもソロはソロで練習しないと上手くならないので歌モノは入れずに外で笑い声や噂話が飛んでいるのを構わずに基礎連とかするんだけど、耳がある人間としての限界もあって、歌モノやったら静まってくれるなら歌モノやろうという循環になる。
そうして静かになったところにエイリアンソルジャーをぶちかますのは今日はやめておこうというか、ブログ書き終えたらやろうか。そうだ今からやろう。
まあ進歩主義が全てでもあるまい。人は老化する。特に俺は47歳だからピークは過ぎているはずだが、その中でもまだ伸びしろの残っている部分が幾らでも見つかる若い時の苦労が足りていない人間で、どうにか地に落ちて這いつくばるのを防ぐように少しの鍛錬をしているのだが全然ラジオ体操レベルというか。
50歳までの後3年で何が出来るだろうな。高校入って卒業するくらいの期間があるのに、それを3倍にした30代とか40代みたいな区切りで見てほとんど成長していないようにも思えてしまうのは主観として衰えずに少しずつ成長出来ているからで、人によっては反対にもう衰えは来ている歳なのかもしれないな。
頭打ちの収入以外にお金を増やす金策ばかり探して焦っていたが、しておいて後のためになる事の代表をGrokに聞くと語学学習と体力づくりというマトモな回答が得られたので、そこから自分で考えてギターもっとということになったのだ。積読も消化せねばならないのが眼前中野信子のペルソナを読み終えれば後は図鑑や技術書やゲームの攻略本くらいのもので、読書として通読するための本はまた新しく仕入れられそうだ。
そう、こうしてブログは30年続けていて執念のようなものがあるが、自分で書くより読み続けているの人の方が当然賢いのではないかと思うと恥ずかしくなるな。ホント、暗黙的に書く方が偉いという先入観で若い時から筆なんて執るからバカで赤裸々などうしようもないくだらないものが残るだけの人生なのだろう。
では世に残っているもののうち立派で素晴らしく面白いものはあるかと当たって行くと、俺の場合はそこに音楽やゲームの世界が広がっていて、絵に関しては「あんなもん俺でも描ける」みたくなめている部分もあり、音楽に関しては敵わないから残りの人生も練習に当てようという話なのだが、絵を残すこともしてこなかったな。
けど音楽と言うのも残らない芸術であって、楽譜や伝統芸能から再現されたクラシックか近代音楽かというところで専ら大衆的な歌モノから入っている素人であるわけで。いや素人でありつつも300円もらえるプロだけど。人生的には音楽では赤字だな。だが非常に有意義に受け手として満足できたとも思っている。
実はそれはゲームについてもそうで、もちろん未知のものへの好奇心や挑戦とか向上心と金銭感覚がせめぎあっている土俵のど真ん中にいるわけだけど、カネに糸目を付けずに楽しけりゃ幾らでも出してやろうみたいな財力は無謀なだけでこの面白さなら幾らくらいという金銭感覚のカネ勘定が毎月の家事費2万円に自分の小遣いも足す生活と密接に結びついており、俺にとってPS5はまだ未来のオモチャである。スイッチも。いやスイッチはPSPの後だろうって気はしているが。
けど、それは裏を返せば既に今まで遊んだもので充分に満足していて、死ぬ前にこれをやってみたいとかこれをやっておきたいみたいな作品は眼前には現れていないのよ。
まあ優越感ゲームからはどうにか逃げ延びて帰属性ゲームで自分の陣営は勝っている側か、二択クイズで〇×の描かれた陣地に人が移動して多い方が多数派だが多い方で決まる選挙のようなゲームか試験みたいに別に正解があって多い方とは関係ない奴かなんだけど自分い自信がない奴は多い方に行くのもひとつの手ではあるが、そこを自信で乗り切れるようなメンタルを昨今取り戻しつつあるなと言うのがエイリアンソルジャー。
多数決でも試験でもなく自分の遊びたいゲームは自分の好きで選べばいいのだが、その軸が多くの他人と絡んでも全くブレないようになるまで他者を理解しようとする過程でブレにブレたんだよな、振り返ると。はねつけて独りよがりになるのは簡単だけど、いちど他者を受け入れると今度は共感とか多数決じゃないけど多い方に行きたくなる答えの分からない〇×みたいな罠にはまり出すんだ。
まあ、自分の人生が終わるまでに世にあるすべてのゲームを解くことなどもう既にむりだろうなという諦念も後ろ向きな懐古主義を少し後押ししている。
