「失礼」という概念すらもストIIが中心だった

 4時に起き哲学の本でマルクスアリレウスのページを読む。まあ見開き1ページだが、資本論を書いたカールマルクスの名は賢帝から取ったのだろうなと思うなどした。

 感情や体調で思想がブレてはいけない。これは帝王ではなく奴隷道徳から来ているような気がするが、市民革命ではなく先の帝王から政治を譲り受けた武帝でも世襲帝でもない賢帝の時代は良かったらしいな。

 残念なお知らせがあるのだが、友を友と思うなら黙って置こうというのは、俺は優等生なのか不良なのかどっちつかずで、遊び仲間で勉強をするというのがグループを出し抜く裏切りであるみたいな価値観に嫌気がさしつつも、せっかく学校卒業しているのに悪友の話に合わせることで、自分も話を合わせているだけになってしまわないか、そのリスクとグループからはぐれることは天秤にかけてはいかず、無償のものだ。

 言葉遣いとかも、19歳くらいまで他人行儀で落ち着いていたところもありながら、仲が良くなると反対に「親しき仲にも礼儀ありだろ」と諭されるくらい不躾であった。そう、俺のそういう所を知る人から見たら、いつの間にかスーツを着て谷六あたりに勤めているのは不思議で、我ながら上手く化けていたのだ。変わったわけでは多分無い。もう会社なんかやめちゃって俺たちと遊ぼうぜ―とは言わず、俺はゲーセン通いをやめずゲーセンに夜中にクルマで集まってたむろっている意味では同じだが、ゲームをやり込んで仲良く遊ぶのではなくカネのある側と無い側でケンカをしていた。

 ウソを付き物とするなら、当然ゲームの勝敗なんかも店で居合わせた結果と店の外の噂ではひっくり返っていたりする。そこに対して俺は異様に固執していた。学歴でも、勉強を頑張った人に嘘をついて立場をひっくり返すのは失礼だと思ったり、ゲームでも自分の尺度でどんな技が出来ているという点と勝ち負けで序列があって、その序列をゲームをそこまでしない不良にも守らせようとすると、当然やらない人が下に見られるわけで、そっちの立場から考えるとゲームしないだけで不戦敗で下になるなんてのは受け入れられるわけではなく、じゃあ仲間割れして強いほうのグループに付くみたいな抗争があったのだ。

 そこまでケンカしておいて、本当に友達なのかと自分にもう一度問うのだが、竹馬の友のかけがえのない友情みたいなものではなく、公立小、私立中高、専門学校と学校が変わってきた俺は公立小中のグループとも少し壁があって、中高同じでもはぐれてしまうと、じゃあ専門学校で友達出来なかったかと言うと、卒業後に有本と一度会ったくらいで、林田にも会ったな、街中で。けど連絡を取り合ったり仲良くつるんだりはしなくなった。既に進路が別々で、完全な同業者では無いものの会社が違うと利害もある。それならば、友達が欲しいなら何らかの利を与えないと仲間にならないグループであり、それが金品とかでないなら、隠し合いに付き合うというのが条件になるのだろう。

 これは感情で思想がブレているかもしれない。損得で言うと、こちらの利はなにかあるだろうか、としたときに悪友とはいえ友とは利害を超えた関係である以上、そこを気にしてセコセコしてしまうと、別の論理で友の論理をぶち壊すこととなる。では俺が仲間外れになったとして、残った彼らに友情はあるのかというところを試してしまったこともある。やはり、群れているからそこに強みがあり、その場で多対1になると不利だから共謀するのであって、散り散りになると関係性は希薄だが、昨今はLINEなどでグループ化して他が内通して独り罠にはまるという事も有り得るわけで、リスクは高い。では何らかの嘘を暴くことに俺の腹いせ以上の利があるかと言うとそれも無いだろう。何もしないのが無難なのである。

 そうすると、実は俺の方が暴走族や愚連隊に絡まれながら、その集団の意図を全く分かっていないのである。確かにひとつは独りより強いからという場所取りの論理で理解できるが、ケンカのない社会生活で特に思想のない集団として居場所がゲーセンになるからゲーセンに通った便宜上で絡んだのだが、ゲーセンから離れたり閉店になると、少なくとも対面の交流は無くなるわけで「今アイツどうしているだろう」と思い出すのはそれも少しは友情と言えるだろうか。不良の中でもバイクとゲームと言う趣味があって、ゲーム趣味ならまたネットゲーとかで会うこともある。そこで所在が明らかで、いつも見えているというのは不利な関係ではあるだろうな。

 まあ、愚連隊についての考察ではなく、俺の中に相撲の番付みたいにゲームの勝ち負けで序列を付けて下は上に従えみたいな無理筋を通していた黒歴史があるので、そこに恨みがあってリベンジをいつまでも狙われているとすれば、ここは引くべきである。

 譲ってしまうと、俺が彼らをゲーセンで見つけられなくなったように、彼らも俺を何らかで探していて、そこに新しいゲームがあるのかもしれない。色々と心苦しい。

 ただ、ゲーマーコミュで「クソ雑魚」とかのヤジが飛ぶ背景には、どこかで誰かから言われた言葉の仕返しであり、俺も普通の来客に勝って「パンピーだった」(一般人、一般ピープルパンピー)であるが、良識のある人からは「じゃあ自分たちは何なん?」と問われ、そこらへんが解決したのがメガドライブエイリアンソルジャーの”FOR MEGADRIVERS CUSTOM”であり、多分メガドライバーなのであろう。それ以上は語らないで置いておく。

 今でも自分が何者なのかは分からない部分がある。何らかの属性が付いてもそれを嫌って脱ぎ捨ててきたきたからで、逃げ延びた先に自分の家以上には安全地帯は無く、学生でもゲーマーでも会社員でもなくなれば、ただの引きこもりである。

 どうやって外界とつながるか、消費者として買い物は出来るが、仕事となるとどんな仕事でも外から家にカネを稼がないと仕事とは言えず、ゲームで遊んでいると言っても、もしそれが1円でも儲かれば社会の中では仕事であるとも考えられる。強く主張する気はない。遊んでいるだけでしょと仕事をしている方から言われたらそうだと思う。

 ただまあ、1円でもとは言うが、少なくとも2~3万円は儲けないと生活費にもならんのよ。足しにはなるんだがな。その意味で今はまだ勉強中。何故か部屋に貼っている世界地図でも、これは俺の生活と何か関係のある地図なのか疑問視しながら、続きの勉強をする。勉強不足なのか営業不足なのかと言うと、今日のテーマである「礼」とは何かというところで、カリキュラム以外の対人態度が特殊な世界にいておかしくなってしまっているということでもあるのだろうなというところ。

 無礼を叱られるのは年配から見た俺が弱そうだからで、ゲーセンに立ち入りして愚連隊の群れの中でもその年長者が同じ態度を果たして取れるのか、その辺が属するメリットよな。では愚連隊は手を出せるのか、警察呼ばれたら、というところで、暴走車だって路上でも警察とケンカする用意の表れであるわけで、当然何らかの抗争があると戦力として加勢するのが俺が彼らに示せるメリットであるわけで、そこはもう一度考える。


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