ゲームもせず、勉強も読書もせず、でもSNSだけはチョット見て、ソファが無いのでパソコン椅子を壁に押し付けてもたれたり、布団の上で正座したりしながらぼっと過ごす。
スーパーで親父の分と弁当をふたつ買い、飲むヨーグルト、ミカンとオレンジの改良種である怪しい柑橘にこの頃ハマっており、それとバナナとパンでも買えば大体の買い物は終わるのだが、別に食わなくてもいいおはぎなど菓子類をもうちょっと買わないとスーパーが売れ残りだらけになって店員さんの数が減り、しまいに入口のカゴが出口に積まれたまま取りに行かないと買い物出来ないくらい店が回っていなかったので、おはぎをカゴに入れるとカツ丼が無くなってソースとキャベツで食うカツ飯なるものが安売り新商品になっていたが、厨房にひとこと聞くと卵でとじたカツ丼を出してもらえた。
それで良く見るとカフェオレなどの新商品とケーキ類のおやつが大量に入荷されており、春なのでいちごがおいしそうだったが、ひとりの婆さんがかがんでひとつのケーキをじっと持って買うか買わないか悩んでいるように見えたので、そこには近づかないようにしていたのだが、こちらが見ているのに気付くとそのケーキを元の場所ではなく陳列にポンと戻してまたじっと見ている。ようやくその黄色いケーキを良く見ると「モンブラン」と字が書かれており、298円で2個入りだった。そう、モンブランは俺の好物と言って秋には楽しみに近所の喫茶店などで食ったりしていたが節約の計で最近秋にモンブランは食わないしボジョレーヌーボのワインも当たらなかった。栗の旬が秋だから秋なのだろうなと思っているモンブランは最近コンビニに年中ある気がしてならないが、このモンブランとあの婆さんは偶然かもしれないけど、俺に春の栗を食って見ろと神が使わしてくれた運命かも知れない、いや考えすぎか?でも俺の知らないところで俺の好物を知ってくれている人がブログでどんどん増えて、だいたい浅ましいと横取りを企てられて売り切れてしまったりするのだが、その一方で新商品を教えてくれる婆さんの新キャラだと思って騙されたと思って買って見るのも悪くないと考えてカゴに入れた。
そうすると困るのがレジである。だいたいよくいるおばちゃんだと何も気にせずカゴを渡すのだが、若いきれいなレジ打ちのお姉さんにバナナとミカンとおはぎとモンブランが入ったかごを渡してしまうのは少し照れがある。誰も気にしていないかも知れないが、テメー甘いものばっかりじゃねぇか!と思われそうだと思ってうつむき加減に近寄ると、ちょうどそのレジが終わって、奥のレジが開いて、まあ何のことは無かった。
昼から親父はカツ丼、俺がからあげ弁当を平らげたところにおやつはこってりとしたモンブラン。味は良かったのだが、夕食までにその日のうちに賞味期限が来るおはぎが待ち構えており、結局夕食前までそのおはぎは電子レンジの前から俺を見上げ続ける。いや、おはぎに目は無いのだから見ているのは俺の方かもだが、いよいよ夕食前になっても一向におはぎを食って晩飯も食うという格好にはならず、ついに俺は親父が夕食にしようと切り出した時に「晩飯おはぎでいいよ」と切り返して、きなことあんのおはぎをふたつ平らげて夕食としようとした。先週の王将でラーメンチャーハンのW炭水化物を食ってから、食い過ぎで胃が疲れた状態でカレー、焼肉、牛丼と来ていたのでたまには晩飯おはぎでいいじゃないというと「そんなことしてたら後で絶対腹減るぞ?」と言い、1時間ほどして親父は今から弁当を買いに行くと電話してきて、ああ1時間夕食を遅らせておはぎの消化を待ってくれたか、仕事が忙しかったかどちらかだなと思って、何か食わないと心配もするだろうといちばん安い白身魚ののり弁と豚汁を頼んだ。
おはぎが腹に残っていたが、魚フライ、ちくわの天ぷら、きんぴらごぼう、桜漬けが白飯にカツオか昆布を乗せて海苔を敷いた上に乗っかっている定番ののり弁を無理なく平らげて、豚汁をすすり、缶ビールは飲まず休肝日とした。
薬を飲んで短い仮眠の後にテレビを付けるとNHKスペシャルのディープフェイク特集に短いドラマが織り込まれた番組となっており、なんとも言い難いが、そうさね90年代バブルの終わりごろにウチの弟がまだ小学生の頃にタモリさんの「世にも奇妙な物語」が面白いとビデオに撮って毎回見ており、アレは家族の中でいちばんの弱者であった弟がビデオを流すことで家族全員チョット気味悪くなって弱るのが目一杯の精神攻撃であったのかもしれないと振り返るのだが、あの頃の不気味さを可笑しがる程度には俺も映像による感情操作にチョット耐性が出来たのかもなぁと思って見ていた。
あとは救急救命のドラマが別チャンネルであり、民放のドラマが米ドラマの影響をモロに受けて焼き直しているなぁ、と思いながらも放送権を買って吹き替えるのではなく俳優さんを使って作り直して分かる話にしているその労力は単に「焼き直し」というデジタルコピーのように行かない細かい仕事の集積ではあるのだが、批評家というのはそういうことに気を遣わず「猿真似」みたいなことを上から言うように書くのだが、ゴシップ紙を読む人にはそういうムカつく言動の受け売りをさせて読んだ人が他人に口をきくとムカつく人になるという軽いまじないがかかっているのかなと思った。モロにそうだと思う婆さんを余りあるほどに見てきた。
ゲームもせず、勉強も読書もせず、でもSNSだけはチョット見て、ソファが無いのでパソコン椅子を壁に押し付けてもたれたり、布団の上で正座したりしながらぼっと過ごすと、今までと記憶は同じはずだが、その記憶に対する自分の考えが少し改まった。
