思えば子供の頃すごくゲームが下手だった

 昨晩ふとそういやMH3Gを放ったらかしにしていたなと港ラギアに挑んで三乙。そうこうするうちにNHKぐるっと関西おひる前で予告のあったうたコンの平野綾の大阪LOVERを見逃すという失態をしてしまった。

 ラギアクルスを狩るには装備が弱い気はしている。何度も挑むのではなく、まずは村ラギアを仕留めたことを思い出し、村クエからやり直そうかとも思う。そう何というか結果とか自信てのはひとつのパラメータで表すものではなく、例えばドラクエなら主人公のレベル20だったらクリアですか?というと、だいたいレベル18~20で越してしまうものだけど、その間には洞窟をたいまつで抜け、街の人にヒントを聞き、アレフガルドを歩きつくして温泉町で手に入れた妖精の笛でメルキドのゴーレムを眠らし、そうこうする間に素手や竹槍から鋼の剣とかロトの剣に装備を変え、ようやく虹の橋を架けた頃には大体レベル18くらいになっているもの。

 そこをいつの間にかレースのように時短ポイントを見つけて最小限度の労力でクリアしてみたり、反対に楽勝になるくらいレベルを上げてみたり(30まで上がる)そうすると装備が素手や竹槍でもレベル30だと竜王倒せるとか、反対にレベル18で倒すにはロトの剣は絶対必要で、色々なものを取りこぼしなくと言ってもパズルほど厳密ではなく、謎解き以外の戦闘では8~9割くらいの要素を集めれば勝てるように出来ている。

 それでまあ、アクションゲームやSTGがへたっぴでも、ドラクエなら辛抱強くやれば越せる。それはね、STGの上手さはそれはそれで反復練習による辛抱強さがまた別口でいるって話ではあるんだけど、誰でも手順を間違いなくゆっくりできるという意味でRPGであって、ゲーム中に文字で書かれた話がヒントになる事を考えると、絵で分かるゲームではなく文字を読めないといけないゲームであるわけで、スポーツ的なACT,STGとは別に勉強も必要になってくる。

 そういったゲームから、最近あまりやってないけど今まで越した数々の中で、特に長編ものはただ長くやれば良いというものでもなく用意周到さが成功の鍵よな。当然、ゲームの進行そのものが用意になっているから気付かずに楽しく遊んでいるうちにクリアまで行ってしまったという体験ではあるのだが、ちょっと前の記事に遊んでて基礎体力がるとその上に積み上げるトレーニングは出来ても、だらけて体が鈍っているのをトレーニングでアスリートになるっちゃ滅多に出来ないって話。

 んで今MH3Gがどうなっているかというと、港ラギアを目の前に回復薬グレートを調合するハチミツが1つしかなく、ここまで来るのにヘトヘトになっている感じ。

 まあ、モンハンにはアクション要素もあるので、回避が上手くなってダメージを受けないように倒せれば倒せるだろうと、その状態で挑んで負けたわけで、負けた理由としては自分が下手だからになるんだけど、ゲーム中には下手を何とかするための仕掛けも色々とあって、準備と本番での腕や運との掛け合わせであって、俺は俺が思っているほど上手いわけでは無いのだから、倒すためにこのままリトライを繰り返してTASとしていま23時間だから24時間で港ラギアを狩るのを目標とするか、それともその目標はお預けにして村クエやモガの森をもうちょっとやって、順当に倒すか、それともそういうものだと分かって詰めの甘いまま投げてしまうか。

 ゲームのカセットやデータの物証は無くとも、俺は昔に解いたのだからその中から学んだものは俺の中に残っているとしても、俺の今後の人生を進めてゆく準備としてもういちどカセットやデータという物証は必要ではないかという入れ子の反対の展開的な考えで持って、二度目のMH3Gを港ラギアまで進めたのであった。

 まあ23時間で来れたんだから大したことは無いじゃねぇか、普通の大人は1日8時間仕事してんだから三日分。そう、色々な人の人生のなかで三日のロスでどうしようもなくなるなんてことはねぇんだから、とすると、そういやオージス総研にいた頃はスケジュールが時間刻みで一日のロスを出したというのを理由に解雇の上契約金3万円引かれたんだけど、どう考えても時間刻みのスケジュール組んで余裕を無くしている上層部に責任を押し付けられただけだよな、と自責の念をそこまで強めなくなってみた。

 せっかく関係性とか構造とかをプログラムに書き上げる頭があるのに、こと自慢となると優勝とかクリアとかレベルみたいな分かりやすいステータスしか人は見ないと嘆いている。そりゃ俺には大した自慢は無いかもしれない。それでもブログを書いていて、読んでくれている人がいる。その中にだけ伝わるものがあって、それで仲の良さを感じていたりする。

 けどまあ「詰めが甘い」という指摘は耳が痛い。心も痛い。本当にそうだからだ。

 振り切って勝ったのか負けたのかというと、まあ港ラギアを基準値に置いたら負けたのだ。ただ、ここまでの23時間に関しては勝ち進んでいるわけだ。それを見積もるためには、同じゲームをして道中の苦労を知っている必要がある。それを知らず「詰め」に着眼しているのは、やはり俺とは心の通じ合わない人なのだろうと思うことにした。

 小学校低学年くらいでドラクエ越したは当時大した自慢であった。だが物証はもうないし、それに高校卒業まで来ると大学進学の方が大した自慢で、俺は専門卒である。

 その中から、例えばドラクエから学べることがあるかと考えるよりは、そこにこだわるよりは新しい勉強でもしたほうが良いとも思えるのは、まあドラクエのおかげかも。

 まだ伸びしろになる部分は色々あるだろうなと思うし、ゲームのように強くなり続けるわけでは無いってか、ゲームで言うと毒を受けるように病気で弱っている。病院に行っても治らない。けどまあ、毒を受けていて毒消し草が無くても薬草とホイミでつないでどうにか生きて街に着いたことだってあったように思い出すんだ。

 その内向的世界を、まだまだ文章に起こせていないと思う。あきらめずにやったら見えた世界がある、けど力及ばず負けたことも何度もあるじゃないか。それがいつしかそうだレベル99って自慢だけど、あのドラクエIIふっかつのじゅもんの地獄を忘れてセーブになったドラクエIIIゾーマを倒した後の世界で楽勝になったモンスターをレベル99までイジメ続けた、あのクリアからレベル99までの時間こそが俺のドラクエ体験を積み重ねや冒険や謎解きから遠ざけてしまったのだと思い出すのだ。

 いまいちどレベル1からクリアまでを振り返るべきで、そしていま港ラギアの前で破れて意気消沈しているのだ。こんな時に「老人と海」を人から進められて読まなかったなということを思い出したりもする。人と付き合うだけ、知らないことを言われて読みたい本や遊びたいゲームに見たい映画が増える。けど、実際は「それなんだろう」という思いが心の中にいっぱい残ったまま、消化不良の人生を送っているかもだ。

 付き合いにもほどがあって、社交界なんてのは知ったかぶりやハッタリがないと乗り越えて行けないかも知れず、俺がドラクエの話を社交に持ち出したせいで、そのテーブルにドラクエが乗ってしまったのだろう。

 けどそれは、自慢にするようなものではなく一冊の読書に値する内向世界であって、そして主観的にはどれほど面白かったとしても、付き合った相手には「つまならなかった」と一蹴された事だって何度もあり悔しかったではないか。

 いつしかその分かってもらえない「つまらなかった」の悔しさに無くなった物証が俺のドラクエ体験に上書きされてしまっていたのだ。

 派手な面白みは無いファミコンのドットがポチポチ動くゲームにひらがなのシナリオが乗る、絵本以下のものかもしれない。それでも、その世界は子供の頃の俺の心に広がっていた。ある人は音楽だろうと言う。確かにそうかもしれない。

 まあ、もう少し考えると退屈で安心で恵まれた暮らしは周りの大人が守ってくれていて、待ってもらって何度でもやり直せる、あの子供時代の幸福の象徴が背中も見えない両親よりも目の前のテレビとファミコンドラクエだったのだろう。

 その前にちゃんと現実世界に気付いて親を敬えよと。信じられる友は果たしているか?誰に呼びかけようとしてブログを書いている?まだ思索も浅いのだろうと思う。


🄫1999-2025 id:karmen