思えば笑われ者の少年期を過ごしたものだ。いじめられている、けど暴力を受けるようないじめではなく、笑われ笑わせているというような卑屈さがあったように思う。
そう思うと、勉強というのはどこかその逆転を狙ってしたものだろうかと思うのだが、専門学校に通った時も、システムエンジニアになってからも、昔の友達と言って良いだろうかいじめっ子たちは逆上するだけで、認められるようなことは無かった。
酒を飲んで、繁華街で遊んだ。家には両親と姉と弟がおり、その中に酔っぱらって深夜に返って来る俺を待つ母にカネのない親父。関係はボロボロになった。俺は俺で幼少期から父の厳しさも母の苦労も俺が出世すれば報われるのかと思っていたが、たったのサラリーマンの給料は家族で取り合いの様相を示していた。
ウチは親父が厳格で、それで回っていたが、昨今の男女平等などの社会変化に合わせて、親父は既にそうしないと暮らせない病気になった俺が家にいる以外、その他の家族からは距離を置かれている。男がどしっと家にいて、女が家事をする。今でもその調子で、家事をするものの無い家は荒れ、仕方がないので俺が食器を洗うとまたそれを使うので、親父は息子が嫁の代わりをするなら平気でそう振る舞うので、まあ昼飯くらいは買いに行くのだが、洗濯をしてくれるようになり、クルマでマクドや弁当を買いに行くのが俺がスーパーに行くのと交代で家事分担という事をしている。
そうさな、文筆の前に俺の読書量が少なく、その中でも最初に触れた文学が太宰治の「人間失格」でその書き出し「恥の多い人生を送って来た」から始まる破滅の人生に自分の幾分かを重ねたせいで、ハッピーエンドが描けない。
今日の朝ドラのネタバレこそしないが、戦前には男と女が出来てから男が出兵するという恋愛観とか結婚観があり、情けないが病気か何かで戦争を避けて生き残った者が戦後の文筆の一角を占めており、健康優良児の結婚観には反対に文学的な豊かさではなくスポーツマンシップとか愚直な肉体労働がセットになっている部分もあって、男は愚直に働き女が天下を取るカカア天下みたいに尻に敷かれるのは嫌だなぁ、と思うと何のために月給制のサラリーマンになるのかというと、あの制度は本当に男が外で働き女が家を守るという夫婦間とセットなので、親父が店をして俺が外で情報処理技術者となると親父が洗濯二人分になって、所得は自営業やサラリーマンの倍になったが、その後に俺が退職して親父が飲んだくれ、飲み屋で女を作ったが、カネが尽きてやめたようだ。
まあ遅まきにそうなった親父を非難する前に俺も20代でも30代でも40代でも荒れて酒浸りになった時期はあるものの、どうにかまた元の生活に戻っている。
恋愛結婚というか、恋があって結婚して気付けば愛になっているというケースも多いらしいが、俺の場合は独りで大丈夫な女性と結婚して、小作り以外の二人の時間について、放って置き合ってそれぞれの好きなことをする以外の二人で仲良く暮らすというような時間の満たし方があまり想像できないタイプなんだ。それでも例えば心斎橋に出て喫茶店など入ると、テーブルがたくさんあってホストとキャバじゃないのかと思うような男女で見つめ合うように座っている席がいくつもあり、そこでひとりでホットケーキを頼んで紅茶を飲むのが笑いものなのは分かるのだが、じゃあそこに彼女を連れて行くとどうなるのかというと、誰かの彼氏や誰かの彼女が目立って良いとなると、たちどころに服装やファッションや髪型が模倣され、同じようなものがブティックにも並び、元の彼女が誰か分からなくなるほど似たような化粧に髪型の女が増えて最初の彼女が泣きだしておかしくなり連絡もつかなくなれば探しても見つからない、そんな経験がある。
そういう失敗を経て、デートコースとして心斎橋周りはアウトだと思うようになったが、何故その街ブラデートを選んだかと言うと、会社の飲み会に来ていたひとりの老人に「結婚前どんなことしました?」と素朴に聞くと「まあ普通だよ、一緒に街ブラブラしたりね」と何も考えない俺はそんなものかと思ってそうしたが、昭和時代から変わらず結婚前の街ブラは一番してはいけない事と言う定説もあるらしく、ハメられた感じがするが、恨むというより迂闊だったと自分の判断を悔いた。
思い返すは別れたあとなので辛いが、その街ブラ彼女がいた頃には普通に二人でいて幸せだったと思う。ただ、結婚には踏み切れず、俺はあれは彼氏と彼女だったから幸せだったのだと思うようにしている。
引っ越すという手は考えられる。この老人の多い柳町では、例えばコンビニにタバコを買いに行って、そこに若い女性の店員がいたとして、俺が若い頃にコンビニの若い女性店員に手紙を渡したという恥ずかしい過去を知っている者がおり、ただタバコを買いに行って若いきれいな女性店員がいたとなると、コンビニの向かいのコロッケ屋とかケーキ屋が見張って年寄りが集団でニヤニヤと笑い始めるというような現象が起きる。
気持ち悪くなって、俺はしばらくそのコンビニには缶コーヒーもおにぎりも買いに行けなくなり、店員もだいたい恥ずかしくなってすぐやめる。
そういえば母親と同居の男も母の実子である俺に詫びを入れながら「もう昔に住んでいた辺りでは暮らせない」と言う話をこぼしていたのを思い出す。当然、母親にも相手抜きで親父が心を入れ替えたとしてもこの町にも実家にも居場所なんてものは無いのだろうなと思うまでである。もちろん同じように俺にも居場所は無いから、当然お嫁さんが来ても遊ぶ場所も思いつかないものである。
それでも、年寄りはいずれ先に行くし、だんだんと若い人が増えている気がするのは俺が歳を繰ってきたせいで同じ分布でも俺より若い人が増えたように感じるのみだろうか。家の物置でも、姉が使っていた部屋でも、弟が使っていた部屋でも、片付けれれば嫁さんが来たり子供が出来て住む場所くらいはあると思う。ただ、新築でもない古民家に少々のリフォーム代を見込んだ貯金があると言っても、これから働きだす男を送り出すほどの夢は無く、若い嫁さんをもらったら俺が先に年老いて死ぬのも目に見えている。だから一層に自立心の強い女性が人生の添え物として不甲斐ない俺と爺さんの代から譲り受けたこの古民家を選んではくれないかと思うのだが、そんなケース探さなくても日本の至る所に同じような47歳の男がゴロゴロいるやもしれんとも思う。
ただまあ、テレビなど見ていると男女平等とか女の自立というテーマで首都圏だけではなく地方でも頑張る女性はいるらしいが、俺の生活圏では買い物くらいしかしないので、食いもん屋で調理場とか売り子に女子がいるのは昔からの光景だし、特に女の人がしていて珍しいなと思うような仕事をしている女の人は見かけないし、まあ路上に女性ドライバーがいることくらいか。
ただ虚しく近所が泳ぐさびれた商店街で、人生このまま終わる前にもうひとつくらい別の幸福感を見つけてみたいなぁ、くらいには思えるようになってきている。
