朝っぱらから鬱展開ではあるが、子供の頃の夢が歌手かピアニストであったかもだがゲームプログラマというのも新しく割り込みながら、専門学校を出てユニオンシステムに勤めていた頃はスーツを着て毎日出勤するのに誇らしさを感じていた。
それは反対に外から見ると羨ましく「偉くなって周りを見下している」という評になり、仕事が何であれITということでライブドア報道でコンピュータ技師全般の社会的な風評が下がり、それが今日まで俺のセルフイメージとなっている。皆が使うスマートフォンも広義のコンピュータだが、パソコンは古くスマホタブレットは新しい、パソコンはもういらないという風潮があって、タブレットにキーボードを繋いで使う人もいるが、キーボードで文字を打つ仕事そのものがハッカー的な映像とリンクして阻害される。
40代で退職した時には勉強しなおして社会の役に立つ医師になりなおしたいとも思っていた。しかしだらだらと勉強をして47歳。高校を出てからもうじき30年になる。その間にマイナカードが発行され、病院や薬局に受付端末が配備された。電子カルテを使っているお医者さんも増えた。だが、現在の俺はもうスーツで出社するIT技師ではなく親父の店の二階に籠るニートのような存在である。
この、未来のための仕事という気負いでやった20代の仕事が何の役職も無くなってから社会に波及してゆくことに対する手遅れ感というか、20代の頃は仕事を頑張っても「お前の手柄ではない」というベテランの圧が凄かった。もちろんマイナカードも受付端末も俺の手柄とは言えないが、ICOCAなどでは人知れず改修作業を担当した。
ま、愚痴はそんだけにしておこう。将来何もしなくて良くなるというのは多忙だった20代には仕事から離れる夢のような未来図だったが、何もしないで生きているというのは社会が攻撃対象としがちであって、もちろんそれはプログラマであった時から医療事務や将棋指しがコンピュータの手柄を自分のものにしているという攻撃対象として、仕事を干してやろうというようにプログラムしてきたことも忘れてはならない。
しかしまあ、スマホがこれだけ普及してしまうと敵に回すと自滅するくらい労働と利用の比率がひっくり返っており、だからして一部のIT企業に富が集中しているように通貨単位で見るとそう見えるかもだが、便利にポンと毎日激務という対比でみると、お金は使うほうがラクという構図にもなってきて、少数派ではあるが主業である工業関連と仲が出来て政治的には公平を訴える左だと俺は思っていても、多数の左は労働してその対価に公平を求めるのではなくただ非力で口論と権利で持って政府にお金を要求するだけの存在だから、俺のしている事は強いものがもっと働く右の行き過ぎだと、こういう非難も飛んでくるのである。確かに障碍者がもっと頑張って働くという姿はいたたまれない。ただ、本人としてはそれで取り分が増えるならそこに幸福はあると思うが。
ひとたびITバッシングを無視してしまえば、他方でギターやピアノを楽しんで、ゲームでも応援を受けて、捨てる神あれば拾う神ありで自分に有利な生き方も見えて来る。家族の内だと親父も味方に付いてくれている。戦う向きが変われば陣営も変わる。当然人間関係も組み変わって来る。そこに円満解決とか八方美人とは行かない。
ともすると、ネットで言論していて、無料だった新聞が有料になり、言論空間だけがその中でも活字だけが俺を攻撃しているように見えるのは、錯覚なのだろうか。
そうだ、ブロガーであることに、ギターが弾けることに、ピアノを練習することにもっと誇りを持てば良いじゃないか。向上心を持つには劣等感は相性が良い。しかしそこにもし優越感があったら、優越感に向上心は相性が悪いのではないかとも思う。
また、ここ最近に無くしていた自己肯定感ってやつだが、これは子供なら皆が持っているものという説もある。負けて無くして大人になるのだ。それがもし負けなかったら、子供のマインドのままで大きくなってしまう。ともすると出来ると思えるようになるには子供に戻る必要があると思い、子供の頃に読んだ本を読みなおしたり、高校の勉強をやり直したり、中学の頃の音楽を聴き直したり、断絶した過去と現在を繋いで続きをするというマインドを求めてきた。ドラクエをやり直して、レベルが上がった時に本当に子供の頃の心を取り戻した感じがした。
そうするとプログラマとしての誇りを失ったのって、バッシングのせいにしているが、それを撥ね付ける自信と気概がやはりプログラムに対して無いのだとも思う。「専門学校でちょっと勉強しただけだろう」などと言われるともっと勉強してやろうとMITの授業や翻訳ものに興味を持ってもっと頑張った。ただ、その頑張りがいつからかやる気があるせいで反対に口だけのやつらからしんどい仕事をさせられているだけという負け組感にすり替わって行っていた。味の良い休みが無く燃え尽き症候群が出ていた。
それがこちらがプログラミングではなくブログという活字のオウンドメディアで言論して、単純労働とはいえ体を動かす仕事をさせるばかりになってはそりゃ反発も出る。そこは自分がムカついたことをやりかえした相応の報いではあると思う。その言論空間での不快感を無視してしまえば、明らかに生活は良くなっているのだから。
つまらない日曜討論でチャンネルを変えて仮面ライダーとゴレンジャーを見ている子供の方が素直で賢いかもしれない。アイツかが姿を変えれば怪人なのだからな。
まあでもこの調子で年を取れば、自分もやがて怪人になってオモチャの剣で切られるかもしれないなとは実は思っていなくて、良い方を取る老人になれたらなと思ってる。
何かに負けても自信と誇りは失ってはならない。それが行動の原動力であるから。ただ、カプエス2の話で検索してやってきた人に俺の仕事や言論をぶつけても何もならないようにも思うんだ。このSEOは俺の仕事と趣味の不一致から来る交通事故だ。
ただ一点、貧しい人のことを思う時に動画の広告で出るナッシュってやつに月1000円の寄付で4家族に4万円相当の食事が届けられるって、何で4万円が千円になるのか、この理屈だけは動画に付けて説明してくれないと千円も払う気にならない。3万9千円はどこに行くんだ?それが元々利益なら食品流通を見直すべきだし、廃棄食品を賞味期限が切れる前に配布する手数料が千円ならその千円はもらっているのが貧困家庭ではなくナッシュ職員ということになる。
俺が子供の頃に親からもらった大事な小遣いを少し募金に当てるとそれを知ったアテモン屋のオバハンが「ああいう募金ってホンマに貧しい人に届くと思てんのか?ああいうのはもらった人がつこてるんや」と言われて何とも後味の悪い気分になったが、そのオバハンが婆さんになって貧しいから助けて欲しいとなって、誰が助けるのだろうということになってくると、互助というのは簡単なシーソーではなく時間を超えたものであり、それが東洋思想の源流でもある。
ただ、今の世の中は年寄りを敬って成り立っているのではなく社会が西洋化して年寄りが権利でお金を持って、敬っているからではなくお金のために介助や医療を届けている点で、思想ではなく拝金主義的な何でもお金に結びつける短絡思考で上書きされていると思う。
力もお金もない人間でもそれがひとりの人間として尊重されて、国民として最低限度の生活が出来る、これが法と平等の理想であるのだろう。そうすると頑張ったら頑張っただけもらえる雇用の下での賃金の公平みたいのは欺瞞で、頑張る事さえできない病人を助けられるお医者さんの方がそりゃ弱者の味方であるわけで、難しい医学部を出て偉いお医者さんという人物像で偉くなりたいからお医者さんになりたいなら大病院の院長先生が偉いわけだが、それより政治家の方が一般的に偉いし、そうではなくドクターコトーのように離島でもお医者さんはお医者さんであり、目指すべきところがそこになるなら俺の今の生活は見直さねばならないだろう。
ただ、どういうお医者さんに成りたいとは言え医学部受験は厳然とそこにあり、そして勉強は辛いこともある。勉強が楽しかったなんてのは俺からすると頭がおかしいが、面白い誘惑が多すぎる遊び人の気質に自分が完全に染まっているのも分かる。
楽しいこと、それ自体は決して悪いことでは無いと考えているのだがな。
